指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

着メロについて。

新しいケータイに替える際にアドレス帳以外のデータは引き継げないということだったので、気分も新たに着メロを探した。着メロを探すこと自体がすでに時代遅れなのかも知れない。最近ではそのケータイにデフォルトで入っている呼び出し音のどれかを選んで使っている人が多いように感じられる。要するに電話のベルと大差ない音やパターンが、着信を知らせるという用途に結局は一番適していたということかも知れない。でもそれではちょっと機能的に過ぎて味気ない。と言って着うたとかだと賞味期限が短くて次々に曲を替えて行かねばならない気がする。それは面倒だ。
個人的にはゲーム音楽が好きで前のケータイにもいくつかの曲をダウンロードして保存し実際に使っていた。「ドラゴンクエスト」とか「マザー」とか「どうぶつの森+」とかだ。ドラクエのオープニング曲は本当に胸を躍らせてくれるし、糸井重里さんが音楽にこだわったとコメントしている「マザー」シリーズは細かいところまで実によい曲ばかりだ。特に一作目のエイトメロディーズとスノーマンのテーマは、とか言い始めてもあまり共感されませんよね、すいません。
ゲーム音楽というのは繰り返し聴いても飽きさせないというハードルを常に意識していると聞く。レトロゲームの音楽は作曲の良さと編曲だけで貧しい音をおぎないそのハードルをクリアしようとした。だからレゲーの曲は曲自体の質が余計に高いのだと言いたいところだけど、それほど一般化できる話ではなさそうだ。クソゲーという言葉があったようにまるで心に残らないゲーム音楽だってたくさんあっただろうから。
それを今改めて聴くことはレトロゲームへの郷愁、つまりそれを長時間プレイしエンディングまで持って行ったあの頃の自分への郷愁抜きには成り立たないかも知れない。あるいは曲のもたらす感動や快感はそのゲーム作品のおもしろさと込みになって記憶されているのかも知れない。でも個人的な体験と分かちがたく結びついていて、よほどのことがない限り他人と共有されることがないというゲーム音楽のそうしたあり方が、ケータイの持つ極めて個人的なイメージにふさわしい気がし、好んで着メロに使う理由になっていると思われる。言うまでもなく僕の場合はということだけど。(2008/02/16)