指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

福岡へ行く。

八月に家人の父が亡くなった。帰省ラッシュと重なっていたので通夜、告別式いずれも来なくてよいと母に言われそのかわり四十九日の法要には出て欲しいとのことだっだので近く行く予定になっている。いくらだか知らないけど家人は遺産を受け取ったそうで交通費その他は家人が持つ。そうでなければ今の僕の稼ぎで親子三人福岡まで行って何泊かすることはかなり難しい。また僕は礼服も黒い靴も持っているけど家人は何も持っておらずひと通り調達しなければならなかった。それにもその遺産を充てた。その他にも子供のものや僕のものなど細々とした買い物がありスーパーのバイトの無い日、月とふたりであちこち買い物に出かけ明日の火曜日もまた出かけることになっている。おかげで部屋は今買い物袋だらけだ。
もう長くはないとわかっていた亡くなる少し前に家人と子供は父に会いに出かけた。二人がそのときにどのくらい悲しんだのかは知らない。そういうことはふたりとも話さなかった。ただおそらくその最後の対面があったおかげで覚悟ができたのか、諦めがついたのか訃報に接しても家人はまったく取り乱すことが無かった。泣いて生き返るのならいくらでも泣くけどと家人は言った。無口な人だったので僕はあまり話をしたことが無い。でも孫は大変かわいがったそうで子供のいとこたちと子供と合わせて随分たくさんの思い出があるらしい。そういう点では父にはとても感謝している。僕が父についていちばん印象に残っているのは家人をもらい受けたいと挨拶に行ったとき結婚の話にはまったく触れなかったことだ。ただ二泊三日の滞在中に夕飯を二度共にし(もちろん母と家人と家人の姉が同席した。)一緒に焼酎を飲んだだけだ。つまりそれについて一言も語ることなく我々の結婚は許されていたと言ってよかった。その受け入れられ方の静かさ、穏やかさにはどこか不思議な印象があった。さすがにぶん殴られるとは考えていなかったけどそれがどんな形であれきちんと改まった場面があるだろうと思っていたからだ。先方にしてみればどこの馬の骨ともわからぬ男なのだ。でも何も無かった。ただもしかしたら父は家人の人を見る目を信用していたのかも知れない。考えられる可能性はそれくらいじゃないかと思う。
人がひとり亡くなるというのは大変なことなのだと割と最近何かで読んだけどあれはなんだったろうか。村上春樹さんへの川上未映子さんのインタビュー集だったか。母は僕に電話をかけて来て父の遺骨は散骨にしてお墓はつくらないと言った。また父の兄弟とは今後縁を切るつもりだとも。そこにどんな思いがあるにせよ母のいちばんいいようにしたらいいし判断のすべてに賛成だと思ったのでその通り伝えた。父と電話で話したことは一度も無いが母は年に一度くらい僕と話したがって電話をかけてくる。ひとりになった母がどんな生活をしているのか想像もつかないが少しでも支えになれたらと願っている。