指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ヤナセ語訳ダブリナーズ。

ダブリナーズ (新潮文庫)

ダブリナーズ (新潮文庫)

柳瀬尚紀さんが訳された「ダブリナーズ」が出た。柳瀬さんとジョイスと言うと「フィネガンズ・ウェイク」だけど、これは一ページ読まずに挫折した。なんて言うか、まだフィネガンを読むだけの準備は自分の中にできていない気がした。今読んでも同じ気がすると思う。「ユリシーズ」は柳瀬さんが訳された章だけは読んだ。1〜6章と12章。その他の柳瀬さんの翻訳、あるいは著書では、「不思議の国のアリス」と「辞書はジョイスフル」と「フィネガン辛航記」を読んでいる。
それだけ読めば柳瀬さんが独自の翻訳観をお持ちであることは充分に察せられる。すごく簡単に言ってしまうと柳瀬さんが目指されているのは軽さということになると思う。これに知的なとつけるともっといいかも知れない。知的な、軽さ。もっともそれはジョイスにせよルイス・キャロルにせよ作品に意図的に封じ込めていた特徴なのかも知れない。でも柳瀬さんもまたそれに意図的に重点を置いて訳してらっしゃることは確かなように思われる。そうすることが作品を正確に訳すことだと柳瀬さんは見なしている気がする。
ジョイスを読むことはとにもかくにも襟を正すことではないかという先入観がある場合(たとえば僕の場合もそうだった訳だけど。)ヤナセ語訳のもたらすショックは大きい。大きいんだけど、結局「ダブリナーズ」も襟を正して読んでしまうことになった。最後の「死せるものたち」の、ダンス・パーティーが終わってから主人公が抱く妻への思いなど、恥ずかしながら本当に同じ思いを僕も時々味わう。また自分と生活の間で引き裂かれる何人かの主人公たちにも真っ向から共感する。でもおそらくそれは柳瀬さんの隅々まで目の行き届いた料理をまだ味わい尽くせていないことを意味するだろう。それはすごくもったいない気がする。
いずれにせよ柳瀬さんが訳し直されなかったらこの本を読むことはなかっただろう。訳し直しとはそういうものであるべきだと思う。