指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

「I know it.」。

 「Frederick」のラストで他のネズミたちから君は詩人だねと言われたFrederickはほほを赤らめてお辞儀をした後恥ずかしげに「I know it.」と答える。普通に訳せば「知ってるよ。」でいいと思うし文意としても不自然なところはないように思われる。回りくどく言えば自分を詩人と自己規定してるひとりの芸術家が周囲の人にも芸術家として認められ受け容れられるラストでもしかしたら誰にでも伝わるものではないかも知れないけど個人的には割にしっかり感動する。もちろんそれは作者自身のとても切実な願望や経験が反映されてると読めることが大きな一因になっている。春夏秋と他のネズミたちが一生懸命働く中一見何もせずにさぼってるかのようなFrederickが密かに受け取っていたいろんな感情や情報を冬ごもりの巣の中で美しい言葉に直して他のネズミたちの前に取り出して見せるとき芸術家とは本来そうあるべきなのだという作者の思いがダイレクトに伝わって来る。んだけど実はこれは余談。本題はこの「I Know it.」を訳者の谷川俊太郎さんがどう訳しておられるかということだ。最後のページから引く。

フレデリックは, あかく なって おじぎを した。
|そして, はずかしそうに いったのだ。 「そう いう わけさ。」
(スペースは原文のママ。また読点(、)のかわりにカンマ(,)が使われている。)

 これを読むと原文を知ってるからこその不思議な感動がやって来る。それは原文から感じられるのとはまたひと味違った種類の感動だ。もちろん谷川さんは原文と訳文をつき合わせて読まれることを想定されてないだろう。原文が読めれば翻訳を読む必要は原理的にはないのだから。だからご自分の翻訳上の工夫を原文を参照の上で評価されるということもまた想定されてないに違いない。だから「I Know it.」を「そう いう わけさ。」と訳されたのは単に「知ってるよ。」と訳したのでは何かがそぐわないと判断されてのことと思われる。実はそのそぐわない理由が僕にははっきりとはわからない。たとえば「知ってるよ。」だとわずかに傲慢な感じがして英語でなら成り立つけど日本語にはなじまないと考えられたのかも知れない。「知ってるよ。」では何を知ってるかがわかりづらいというご判断なのかも知れない。そこははっきりしないけど「そう いう わけさ。」では原文にある率直な感じが弱められていると言うかぼかされていると言うかそういう感触があってそこに谷川さんの優れた言語感覚が込められているように感じられる。それが原文と比べて読んだとき独特の感動の根拠だ。
 それはもちろん特殊な楽しみ方に違いないんだけど原文と訳文をつき合わせて読む楽しみはそんなところにある。小説とかでは難しいけど絵本ならたいてい何とかなるのでこれからもそんな読み比べをして行きたいと思っている。