指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

恥ずかしいパパ。

この前授業参観に行ったら僕の姿に気づいた子供がすぐに目をそらした。手を振るとかなんらかの合図を期待していたのでちょっと肩すかしを食らった気がした。少しして子供の隣の席の子が僕に気づいて子供にそのことを伝えたらしいが子供は面倒くさそうにうんうんとうなずくだけだった。
僕にも父親や母親と一緒にいるのを友だちに見られるのがとても恥ずかしかった時期があった。あれは何が恥ずかしかったんだろう。とにかく反抗期の一形態なんだと思う。
それが子供にもやって来たように思われた。本格的な反抗期には早いような気もしたけど、とにかく自分の父親を友だちに見られるのが恥ずかしいのだ。それは寂しいけれど大人に近づいたことを証しているようでうれしくもある。寂しいけどうれしい。結局子育てはこれに尽きる。
子供が帰宅した後それとなく尋ねてみた。すると僕に気づいて目をそらしたのは、ちゃんとやらなきゃと思って緊張したからだし、隣の席の子に面倒そうにしたのは、普段から面倒なことを言う友だちだから、ということだった。要するにパパが恥ずかしかった訳ではなかったことになる。なるほどね。それを耳にして寂しいけどうれしい気がした。いや、うれしいけど寂しいと感じるべきか。