指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

物語が降りて来る、という奇跡。

末裔 絲山秋子著 「末裔」
菊地信義さんの装幀が美しい。
サイト上の絲山さんの日記を拝見すると作品のための取材中や執筆中に「下りて来る」ことがあると何度か書かれている。もちろんそれは喩えであって、考えに考えた末にふっと今まで見えていなかったラインと言うか道と言うかそういうのに気づく瞬間があるということが言われているように思っていた。
その降りて来る現場に読者が立ち合う機会を、これまででいちばんたくさん含んだ作品のような気がする。特に後半に、ああ、そうだったのかという驚きと新鮮な喜びが頻繁にあるがそれらは作者が感じたであろうものとすごく似た感触を保っているんじゃないかと想像された。そしてそういう風に作者の言う「下りて来る」を身近に感じてみると、それはやはりちょっと奇跡みたいな印象を持っていることがわかる。奇跡は起こるのだ、創作中の作家に、作家の描く主人公に。
もうひとつ、同じことを別の言い方で言うだけに過ぎないかも知れないが、作者の主人公に憑依する力がこれまでよりも強いもののように感じられた。それはおそらく作者がこれまででいちばん自分自身から遠い主人公を設定しているからだと思われる。その強く憑依する力が無かったら、主人公の姿はこれほど自然なものにはならなかっただろう。また、その力の強さと表裏をなすように作者が主人公に向けるまなざしは優しい。作者はとても優しい人だ。どの作品を読んでもそう思う。
現在何もかも失われていて未来にも何も得るものが無さそうに見えたら、向くべき方向は過去しか無いかも知れない。そのとき過去に何があれば僕たちは救われるだろうか。スコット・フィッツジェラルドの登場人物ならそこに見るのは失われた栄光だけかも知れないけど。