指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

やり直し。

吉本隆明が語る親鸞
手許に本が無いので記憶に頼って書くしかないんだけど、僕の読みがそれほど間違ってなければ「最後の親鸞」の中で吉本さんは親鸞の最後の思想をとてもシンプルな形で取り出していた。それは、信じる信じないは「面々の御はからい」、つまりそれぞれの好き勝手でよいという言い方や自分の仏は自分ひとりだけのものであるという言い方に現れていると論じられていた気がする。そこでは宗教が元々前提としている共同性が極限まで無化されておりもはや宗教と呼べるかどうかわからないほどだった。また「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」といういわゆる悪人正機説に対して、悪人の方が往生しやすいのなら進んで悪いことをした方がいいんじゃないかといういわゆる造悪説が出た際、親鸞は書状でそれを戒めてはいるものの、心底では造悪だろうがなんだろうが少しも構わないと思っていたんじゃないかとも言われていたと思う。善悪の問題をそこまで徹底的に解体してしまったことも、親鸞が宗教を乗り越えてその先まで行ってしまった根拠になっていた。
この本に収録されている五つの講演はいちばん古いものでも「最後の親鸞」より随分新しい。そしてそれらの講演で吉本さんは「最後の親鸞」に書かれたことを援用しつつそれとは違う結論を出したがっているように見える。そして時に、もうニュアンスとか香りとかいうものに近いいわく言い難い何かを言い表そうと苦心されている。それを正確に理解することは残念ながらできなかった。ただ「最後の親鸞」に満足せず何度でもやり直そうとする吉本さんの姿勢がくっきりと心に残っただけだ。