指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

「アメリカの鱒釣り」再訪。

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)

リチャード・ブローティガンをまとめて読んでいたのはいつ頃だっただろうか。実はそれは割と正確に特定することができる。
前に書いたちょっとエキセントリックな彼女が1987年の春から秋にかけて半年間の海外留学に出かけていた。その間僕は東京でかなり寂しい日々を送っていた。確かにふたりは気が合わず諍いが絶えなかったが何はともあれ愛し合ってはいたしそれはふたりのどちらにとっても初めての経験だったから。1987年9月11日最悪の誕生日になるところを救ってくれたのが書店に並んだ村上春樹さんの「ノルウェイの森」だったことにもそうはっきりとではないけど以前触れた。話は前後するけどその年の夏くらいに彼女が留学先でちょっとしたトラブルに見舞われかなり狼狽してコレクトコールで国際電話をかけてきた。とにかく落ち着かせようと必死で話したことを覚えている。一時間くらい話すと料金は十万以上になっていた。十六万とか十七万とかだ。すでに自分のアパートに子供たちを呼んで塾のまねごとをしていたけどその収入と親からの仕送りではとても払いきれない額だった。早急にバイトを探す必要があった。塾のバイトを手伝ってくれていた大学の友だち(彼にお金を払って雇っていた訳だ。)に相談すると自分のバイト先を紹介するからと言うのでありがたくお願いした。数年後そこに就職して二十二年ちょっと務めることになる会社だ。バイトに入ったばかりの頃最近どんな本を読んでいるかある年上の美しい女性社員に尋ねられちょっと緊張しつつブローティガンの名をあげた記憶がある。だから1987年「ノルウェイの森」と前後するようにブローティガンを読んでいたはずだ。晶文社から出ていたのは全部と、新潮文庫から出ていた「愛のゆくえ」を読んだ。ちなみにそれを尋ねた女性社員が後のふたりめの彼女になった。
こうして三十年の時を経て再び「アメリカの鱒釣り」を読むことになったのは、やはり村上柴田翻訳堂が多かれ少なかれ関係している。アメリカの小説を少し系統立てて読みたいと思った。気に入ると手に入る作品は大体全部読むことにしてるんだけどアメリカの作家でそうしたのはブローティガンフィッツジェラルドヘミングウェイ、カーヴァーなどほんのわずかでしかも相互の関連もまるで意に介さずばらばらに読んでいる。これではわかるものもわからないような気がするし現代にたどり着く以前にフォークナーとかコンラッドとか重要な作家も読んでおきたい。という訳で何年かぶりで読書に関する自分なりの方針みたいなものが固まった。その方針通りならすでに読んでいるブローティガンに白羽の矢を立てるのはちょっと違う気もするけど、今もう一度読みたいという思いがとても強くて読むことにした。前置きが長くなった。
ところが本を開いてみると全く読んだ覚えが無い。たとえば「西瓜糖の日々」だったらその透明な世界観みたいなものをよく覚えてるんだけどそういった印象の痕跡も無い。とても独特の文体で書かれた「訳者註」にもまるで見覚えが無い。これは読んだことないんじゃないかと思いながら先を急いだ。いや急がなかった。とても丁寧にゆっくりと読み進めた。そうでなければとても太刀打ちできる作品ではないと感じられたから。形式は短編集と言うかもっと短く断想集といった趣だ。それぞれの断想は物語というよりは何か別のもの、たとえば連想みたいなものを軸にして組み立てられている。主題の「アメリカの鱒釣り」も様々に姿を変える。あるときはクリークに釣り糸を垂らすアメリカの鱒釣りという実際の体験だ。あるときは<アメリカの鱒釣り>と書かれる擬人化された誰かだ。<アメリカの鱒釣りちんちくりん>という両足を鱒に食べられ車いすに乗るアル中もいる。他にもアメリカの鱒釣りホテル、アメリカの鱒釣りペン先などなど。でもそれでいいんだよ、気にすることはないんだ、という作者の声が聞こえてきそうだ。そのそれぞれを楽しんでくれればいい、と。だから各章に書かれていることをそのままに読んで何かを感じ取れればいいんじゃないかと思う。「クールエイド中毒者」ユーモラスでちょっとかわいそう。「胡桃ケチャップのいっぷう変わったつくりかた」<アメリカの鱒釣り>のガール・フレンドがマリア・カラスって不思議。料理も不思議。といった風に。でも「アル中たちのウォルデン池」から始まりたとえば「ワースウィック温泉」や「テディ・ルーズヴェルト悪ふざけ」などいくつかの章を含む「わたし」と「女房」と「あかんぼ」の話は連続しているように思える。そしてそこでは割とまともな愛の形が描かれている気がする。まともであたたかくてちょっとユーモラス。幾分か作者自身のお話じゃないかという気もする。
 最後に近くやっと読んだ覚えのある文が見つかった。

わたしは考えていた。アメリカの鱒釣りならどんなにすてきなペン先になることだろう。

この場合の「アメリカの鱒釣り」はどんな意味なんだろうと随分考えた覚えがある。