指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

読みづらい訳。

大渦巻への落下・灯台 ポー短編集? SF&ファンタジー編 (新潮文庫)

大渦巻への落下・灯台 ポー短編集? SF&ファンタジー編 (新潮文庫)

読みづらい訳(やく)ではありません。訳(わけ)です。
ポーの作品は多かれ少なかれ読みづらさを感じさせずにはいない。今回読んだ新潮文庫版は、前の二冊が十年ちょっと前、この作品が三年ほど前に出たもので訳は古くない。でも特に最後の一冊はかなり読みづらい。これは自分のこらえ性がなくなってきたことがいちばんの原因のように思われる。また若い頃の話で申し訳ないんだけど作品に対する尊敬の念と言うか読んでわからないのは自分の読解力のせいだという思いが完璧に近く強かった。だからわからなければわかるまで読み返すしそれは作品の部分に対してもそうだったし作品全体に対してもそうだった。でも今はちょっとわからないといいや別にわかんなくてもという感じでどんどん先へ進んでしまう。当然作品から受け取るものも小さくなるはずなんだけど特に気にならなくなった。そんなに努力して本を読んだりしたくないと思っているようだ。
ただそれだけとも思われなくてやはりリアリティーに対する考え方、感じ方が170年前と今とでは随分違うんじゃないかという気もする。頭の中にあるなんらかの構造が決定的に異なっているように感じられる。たとえばブローティガンもわかりづらい作家だと思うけど少なくとも何が書いてあるかは読み取ることができる。確かにそれが意味していることは読み取れない場合もあるかも知れない。でも書いてあることは全部わかる。ポーの作品ではしばしば何が書いてあるかがわからない。これはメルヴィルの「白鯨」を読んだときにも感じたことだけどどこに視点がありどの角度から何をどのように見て書いているのかが全くわからないということが起こる(ただしこれは僕の想像力が欠けている事態をも指しうる。)。描写と時間の流れの関係もよくわからないことがある。この点でポーのわかりにくさとブローティガンのわかりにくさは本質的に異なっている。
一編だけスティーヴン・ミルハウザーっぽい作品があったんだけどなんとこれはノンフィクションということだった。たまげた。でもポーは多くの作家に影響を与えているということだからミルハウザーも影響されているのかも知れない。