指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

アイデンティティー。

 NHK山口百恵さんのコンサートを家人が録画してくれてたのでまだ全部じゃないんだけど観ている。ラジオではリアルタイムにその曲を楽しんでいたしテレビでもよく観てたと思うけどこのコンサートの映像を観るのは初めてだ。今の歌番組でよくあるように曲の進行と共に歌詞が表示されるということはないんだけど曲名と作詞家、作曲家の名前は表示される。すると阿木燿子さん、宇崎竜童さん夫妻の作品が圧倒的にクローズアップされていることがわかる。一方当時そのやや過激な歌詞が物議を醸した「ひと夏の経験」やデビュー曲の「としごろ」を含む初期のヒットナンバーはメドレーという扱いになっている。皆さんお聴きになりたいでしょうから一応歌いますけどといったスタンスに見える。僕はさだまさしさんの歌うものも百恵さんの歌うものもどちらも「秋桜」という曲が大変好きなので待ってたんだけどそんなしっとりした曲が入り込む余地はないように思われたほどだった。衣装替えの後さすがにそれはフルコーラスで歌われたもののいつしかまた阿木、宇崎ナンバーに取って代わられる。その構成から感じられるのはこの時百恵さんのアイデンティティーはこのふたりの楽曲にあったんだなということだ。確か阿木、宇崎の曲の提供を望んだのは百恵さん自身だったという話を聞いたことがあるような気がするのでそれも致し方ないのかも知れない。でも今調べたら1973年のデビュー当時(僕は九歳だった。)から一曲残らずそのシングルを聴き続けた立場からするとやはり違和感がある。阿木さんと宇崎さんの曲も決して嫌いではないしと言うより当時はどの曲もいい曲だなと思って聴いたり覚えたりしてたんだけど(今でも結構な数の曲を大体歌える。)それでもこれだけ続けざまに聴かされると鼻につくということがひとつある。それ以上に問題に思えるのは自分のキャリア全体をいっときの価値観ひとつで再構成してしまっていいのかということだ。いや百恵さんの立場からすればそれはいいに決まってるんだけど一ファン(ファンなのか?―ファンなんだと思う。)の立場からするとそれはちょっと違うんじゃないかという気がしてくる。
 個人的にはあらゆるアイデンティフィケーションは世界を見誤らせると考えている。自己実現ではなく自己解体こそが世界の実像に迫って行く唯一の方法だ。とか言いつつ自分自身様々なアイデンティフィケーションから足を洗えず世界に迫る作業は一向に所を得ないが方法だけは心得てると思っている。君と世界の戦いでは世界に支援せよ。いやしかし話が大げさになった。