指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「木戸をあけて」。

 小椋佳さんに「木戸をあけて」という古い曲がある。さっき調べたら「彷徨」というアルバムに入っていてリリースは1972年3月1日ということだ。僕はまだ九歳になってなかった。ちなみに家人なんて影も形もなかった。小椋佳さんがメジャーなアーティストとして一般に広く知られるようになったのは布施明さんに提供した「シクラメンのかほり」という曲の大ヒットがきっかけだったと僕なんかは記憶してる。この曲のリリースは1975年4月10日。「彷徨」のリリースからもう三年も経ってる。でも僕が知らなかっただけで心ある人たちはすでに小椋佳さんを評価し聴き続けていたんだろうと思う。と言うのもこの「彷徨」の収録曲は名曲揃いだからだ。もっとも僕がそれらの曲を本格的に聴き始めたのは中二になってから。つまり1977年のことだ。この年にどうしてかは覚えてないけど小椋さんのベストアルバムを一枚買った。それで「しおさいの詩」とか「春の雨はやさしいはずなのに」とか「少しは私に愛を下さい」とかいった「彷徨」に収録されてる曲を知った。ただそのアルバムにこの「木戸をあけて」が入ってたかどうかは覚えていない。何度も言ってるように僕のレコードは後年母親が全部処分してしまったのでもう確かめようもない。という訳でこの曲をめぐる僕の考古学的探求はここで暗礁に乗り上げる。ただしどこかでこの曲と出会ってとても共感し言わば自分への応援歌みたいに思って今でもそらで歌えるほどしっかり聴き込んだことがあることの方が重要だ。少なくとも僕自身にとっては。
 このどこに共感するかと言えばいつかは母親の元を離れて自分ひとりの遠い旅に出なくてはならないというところだ。僕にも「遠いあこがれ」がありあるときひとりで家を出なければならなかった。この歌詞の語り手と自分はぴったり重なり合ってるように思われた。しかしこの話には続きがある。
 子供がまた関西の方へひとりで行くと言う。メインの目的は彼の地の有名なサウナをめぐること。その他にもいろいろ行きたいところがあって十日間くらいは帰って来ないらしい。詳しいことは家人も知らないと言う。家人は最近もう成人したことでもあるし子供についてあまり根掘り葉掘り訊かないことにしてるそうでまあそう言われてみればそれが正しいような気もするので僕も静観している。その立場はこの曲で言えばうちに置いて行かれる母親の姿と重なる。つまり「木戸をあけて」はもう僕への応援歌ではなく子供への応援歌に成り代わってしまったということだ。この暑さではあるし台風云々とも言ってるし長距離バスは安全性が心配だし本当を言えば行かせたくない。でもそうは言えない。かつて両親が僕を止めなかったように僕らも子供を止めることはできない。そして止めないことが愛情だったんだなと気づく。どんなに自分の価値観と異なっていたとしてもいや異なっているからこそ尚更親は常に子供の「遠いあこがれ」を応援してやらなければならない。

小椋佳 木戸をあけて −家出する少年がその母親に捧げる歌 - YouTube