指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「果樹園の守り手」。

 コーマック・マッカーシーのデビュー作。一読してすらすら理解できるというタイプの小説ではない。場面はめまぐるしく入れ替わるし登場人物は誰に肩入れしていいかわからないし豊富な自然描写はストーリーを停滞させる。割に年季の入ったマッカーシーファンだと思っていたけどもしかしたらこの作品がいちばん読みづらかったかも知れない。個人的には「すべての美しい馬」の文体をこの作者のひとつの達成と考えている。そこから振り返って見るとまだまだ磨かれる余地があるのかなとも思えるしそう思うのはこの作品に対して公平ではなくてこれはこれでひとつの完結した世界と見るべきなのかなという気もする。たとえば自然描写について言うと語彙が非常に豊富で喩えが多い。そしてすごくリリカルだ。マッカーシーの文体はアーネスト・ヘミングウェイの影響を受けてると思うんだけど(ほんとはウィリアム・フォークナーの影響下にあるらしい。ただフォークナーほとんど読んだことないので個人的にはそこら辺がよくわからない。)ヘミングウェイにはこれほど豊かな叙情性はない。自然に対するかなり繊細でウェットな感受の仕方と的確な観察力をぶっきらぼうな印象を与える文体のリズムでコントロールすることがこの作者の出発点だったのかなと思わせる。そしてわずかに感じられる宗教色。ストーリーについては一種の犯罪小説ということになるんじゃないかと思う。ただその辺の構成についてもちょっとよくわからなくて自然描写たっぷりで物語としては停滞感のあるパートと急に物語が進むパートとがありそのバランスの根拠とか必然性とかが今ひとつはっきりしない。うとうとまどろみながらドラマを見てるみたいだ。まどろみの中には美しい夢が広がっている。ふと目覚めるとその前もその後もよくわからないドラマのかけらが目の前で進行している。ひとしきりそれが続くとまたまどろみの中に戻って行く。そんなたとえがこの作品の読み心地にいちばん近いかも知れない。マッカーシー初めてだけどどれから読むといいかなという質問にこの作品を挙げる気はない。またこの本買うのという質問に対してもプロパーじゃあ少々値が張るので古本で安くなるまで待とうかなという答えになりそうだ。もっとも販売部数が少ないだろうから古本で出てくる可能性も低いんじゃないかな。ただし今後「ザ・ロード」以降の作品が翻訳されるのなら一も二もなく絶対に買う。あと今どきにしちゃあ珍しいほど誤植(とは今は言わないかな?)が多いことを書き添えておく。