指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

TVドラマ電車男の位置。

昨日が4回目の放映ではなかったかと思うけど、テレビドラマ「電車男」を見るともなしに見ている。ベストセラーになった2ちゃんねるのログをまとめた本も、このドラマの原作となった本(たぶんそういうのも出版されていると思う。)も読んでいない。映画のこともよく知らない。ただテレビドラマ版のことを少し知っているだけだ。

配役の妙と演出の工夫で、おもしろいドラマになっていると思う。配役の方は、我修院達也劇団ひとり温水洋一などの個性的な脇役(ドランクドラゴン塚地、それになすびも。)が、しっかりと全体の雰囲気をまとめている。主演の伊藤淳史君も、ちょっとくどいと言えば言えるんだけど、そのくどさをまあまあこの辺までなら、と思えるところに留めている。人によってはそのくどさがいい、という意見もあるだろう。僕も「チビノリダー」とか「がんばれワカゾー」のCMとか結構好きだったしね。伊東美咲のノーブルな感じもうまく引き出してある。

(あと、子供が見ている「ジャスティライザー」という戦隊もので、最初敵だったんだけど最近味方っぽくなってきたキャラを演じる俳優さんが、「ネットの住人」のひとりで出演してる気がするんだけど、未確認だし、「ジャスティライザー」なんて見てないですよね、って誰に訊いてんだ?)

演出の方は、レスに合わせた細かい場面切り替えがテンポがよくていい。「書き込み」ボタンを押したとき、ケーブルをくぐり抜けてデータがどこかへ走って行くイメージ映像や、電車が重要な書き込みをしたとき、待ち受けていた「ネットの住人」たちが一斉にアクセスを開始するイメージを、日本地図のあちこちから東京を目指して光線が集まる映像にしたのも、よいアイディアだと思う。もちろんウェブの実態とは違うわけだが、イメージが描きやすい。BBSがチャットのように扱われているけど、これも実態がどうあれドラマ的な工夫だと思って見ると、わかりやすくていい。

という風に、誉めっぱなしなんだけど、そこにはこのテレビドラマの置かれた位置が、結構関係してると思う。

普通原作ものをドラマや映画にするとき、原作はフィクションとして完全なものと見なされている。まあもちろんとても完成してるとは思えないものもあるだろうけど、それとは別に原作というのをとりあえずは完全なものと見なして、それを起点としてドラマや映画への距離が測られたりする。

でも「電車男」の原作は原理的に、完全ということと無関係だ。完全というのはフィクションについてのみ言い得ることで、「電車男」の原作をフィクションと見なすことは不可能だからだ。もちろんそこに書かれていることがすべて事実だと言ってるわけではない。ネタの部分もあるだろうし、無意識に歪曲された部分もあるだろう。(僕たちが何かを書くときにそういうことを避けて通るのは大変難しい。)

 「電車男」をフィクションと見なせないのは、これが一人のあるいは複数の作者による、意図してつくられた「作品」ではないからだ。そこには電車のエルメスに対する意図や、住人たちの電車に対する意図はあるが、「電車男」という作品に対する意図はない。またフィクションでは当然いるはずの、作品を意図する作者もいない。従って「電車男」はフィクションではない。また少し違うレベルで、これを事実と言うこともできないのは前述の通りだ。

こうした原作の性質が、テレビドラマ「電車男」の位置を、普通の原作つきのドラマに比べて遙かに自由なものにしている気がする。原作、と言うか、正確には原作ですらないかも知れない。出版するに当たって適当に手が入れられているにせよ、それはやはり「ログ」なのだ。事実ともネタとも嘘とも決めることのできない、ログ。ひと連なりのログから、読む者はそれぞれのリアリティーに応じた物語を再構成する。テレビドラマ「電車男」は、映像という圧倒的にパワフルなリアリティーを用いて物語を再構成する、読者の一人という自由な位置にいる。そして、そこは多少ミスをしても減点される恐れがなく、少しでも優れたことを行えばすべて得点となって評価される、優位な位置でもある。おそらくそれが、このドラマをいい方に言うしかない一番大きな理由だという気がする。