指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

文体について。

昨日の記事は苦しまぎれに書いたのだけど、平山瑞穂さんからコメントをいただいたり、id:keiko23さんからトラックバックをいただいたりした。余談だけどどちらかと言えば満を持して書いた記事の方が反響が薄く、自分でもどうかねこれ、と思うようなものの方が反響があるように思える。こちらから世界を見る目と世界から自分を見る目とが、まだまだ本質的にずれていることの証と思う。

平山さんのコメントにはレスをしたがそれを補足する形で一度文体について考えてみたくなった。と言っても僕には文体という言葉を使いこなす資格が足りない気がしている。たとえば村上春樹さんの格言「一に体力、二に文体。」だけど、体力がないと強い文体がつくれないという言い方を実感できるほどには書き込んでいない。文体が村上さんが言うようなことまで含み込んでいるとしたら(含み込んでると思うんだけど。)、僕には文体という言葉の全貌は把握できていないことになる。それが資格が足りないと思う理由だ。

だから例によって普遍的な物言いは諦めて個人的なことを書くしかない。

これまで誰の文章に影響を受けたかと自問するとすぐに思いつくのが村上春樹さんと吉本隆明さんで、このブログもほとんどをどちらかの文体を真似して書いている。真似と言うか、それはもう自分の呼吸と見分けがつかなくなっていて、そういう書き方しかできないと言った方がいい。ここから先に何歩か進んで行けば、自分独自の文体が見つけられることになるんじゃないかという予感はあるが、さしあたってどのくらい進めばいいのかは見当もつかない。中途半端と言えばものすごく中途半端な位置にいる。

あと好きな文章と言うと漱石とか中上健次さんとかがすぐに思いつく。漱石はうまく言えないけど人と人との距離感みたいなのをすごく立体的に、しかも簡潔な言い方で言うところが好きだ。リニアにしか見えない文章の中に、まるでホログラムのような構造物が詰め込まれていて、人間関係の距離感が立体的に透視できる。中上さんはあのたたみかけるような息の長い文章に影響されて、一時期似たような文章ばかり書いていた。*1

それと今気づいたんだけど、このブログに関しては平山さんに影響されて始めたこともあり、当初は平山さんのブログの呼吸で書いていた気がする。もしかしたらこれが平山さんにシンパシーを持っていただいた一番の理由かも知れない。

今のところ文体については上記のようなことでお茶を濁すしか手がない気がする。

*1:他には高橋源一郎さんと最近知った舞城王太郎さんの文章が好きだ。でも前者の軽さと重さのバランスのよさはとても真似できないし、後者を真似するためには0才児からからやり直して西暁町に住むしかない。