- 作者: 山際淳司
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1985/02
- メディア: 文庫
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でも高校在学中に野球部ががんばって春の甲子園に出場したのはいい思い出になっている。母校が甲子園に行けたのは今のところ後にも先にもそれ一度きりだ。そしてその頃の母校の野球部のことは山際淳司さんの「スローカーブを、もう一球」で読むことができる。しかしその短いルポルタージュには、甲子園での結果までは記されていない。
あだち充さんの「H2」というコミックの最初の方に、昔甲子園で圧倒的な敗北を喫したことがトラウマになり自分の高校では野球部は御法度だとする校長が出てくる。そのトラウマとなった試合は、母校の敗戦を下敷きにしてるんじゃないかと思ったことがある。それくらいのぼろ負けだった。
相手(忘れもしないが星陵高校だった。)の打者の放った打球がレフトポールに当たる。三塁側アルプス・スタンドに陣取った僕らはそれをファールだと思いこむ。もちろんポールを直撃すればそれはホームランなのだ。本当はみんなそのことをわかっている。でも僕らはそれをファールに区分けする。ファールだろ、ファールだろ、とささやきが満ちるが、それはファールではない。ランナーの数プラス、バッター分の数字が加点される。そんな風にして11対1で負けた。
10点離れた9回になっても応援団は「勝つぞー勝つぞー」と連呼していた。どう考えてもそりゃ無理だよとつっこみたくなりながらも、僕もそのエールに和していた。他にどうすればいい?ここは甲子園で味方は10点負けていて回は9回で三つアウトをとられたらそこで敗退するのだ。応援が伝わろうが伝わるまいが効力があろうがなかろうが、自分が今からバッターボックスに立ってホームランをかっ飛ばす自信でもなければ、エールを送るという一種呪術的望みにかけるしかない。
でも母校が甲子園に出場したときに在学していたというのは、結構ありそうでない体験だと思う。そういう意味では今も当時の野球部のメンバーに感謝している。母校のチームを応援するのはプロ野球のひいきのチームを応援するのとはまるで力の入り方が違うからだ。