指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

山本文緒さんの作品を初めて読んだ。

プラナリア (文春文庫)

プラナリア (文春文庫)

何日か前に読み終えたんだけど本がどこかに行ってしまった。おまけにその後にも短編集を読んでしまったのでどれがどっちの本に収録されていた話なのかがわからない。とりあえず収録タイトルをウェブで調べてみると以下のようだった。
プラナリア
ネイキッド
どこかではないここ
囚われ人のジレンマ
あいあるあした
その後直木賞のサイトでもう少し詳しい情報を得た。それでやっとああ、あの話だったかと思い出すことができた。なんでそんなに気合いが入っていないかと言うと、あまり好きなタイプの小説ではなかったからだという気がする。もうこういうのは好みの問題だ。ファンの方がこれを読んでいらっしゃったら本当に申し訳なく思う。
とは言えつまらなかったかと言われればまったくそんなことはなくむしろ引き込まれて読んだ。登場人物たちの抱く淡い悲しみがときに鋭く研ぎ澄まされ彼女ら(と彼ら)の胸を貫く様もきちんと受けとめられたと思う。特に「どこかではないここ」は高校や中学へ行く子供を持つ主婦の姿が描かれ、かつてそういった立場の人(自分の母親)を間近に見てきた経験からとても親近感を覚えた。また「あいあるあした」の中年に差しかかった男の心境も、今現在の自分と重ね合わせられる部分が多く共感した。
どの作品が一番よかったかと言うと「どこかではないここ」になると思う。主人公の抱えている問題が非常にリアルでかつ誰もが通りそうなものに思われるからだ。入院している夫の父親、ひとり暮らしの寂しさから理不尽とも思える電話をしょっちゅうかけてくる実母、家に寄りつかない子供、リストラされて以来覇気のない夫。そのすべてから不安や苦労を背負わされながらきつい夜のパートへ出かける主婦の姿。彼女に似た暮らしをしている人はきっとたくさんいるだろうと素直に思わされるほど真に迫っている。
でもその真に迫ってる感じが個人的には苦手なんだろうと思う。あるいは僕が自分の母親に対して負い目みたいなものを無意識に抱いていて、それを今更のように呼び起こされるのがいやなだけかも知れない。もちろん何かがいやだと読者にわからせるのも作品の効用のひとつだ。
若い女性を主人公にしている三編に関して言えば、彼女たちは他人にうまく伝えることができない自分の姿を、自己嫌悪に苛まれながらもとても大切にしているように思われる。そういう言い方が不適切なら、彼女たちにとって他人に伝えることのできない自分の姿は自己嫌悪など物ともしないほど切実なのだと言い直してもいい。彼女たちのふるまいがときにわがままのように見え周囲に違和感を抱かせる理由はそれだという気がする。小さく切り分けられた自分自身の肩を持って生きるのは大変なことのように思える。僕自身はもう少しだけ深く諦め、そのかわりに全体をまとめながら暮らしているような気がする。