指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

家人の大掃除。

ここ何日か、家人が部屋の大掃除をしている。もう猛然とやっている。あらゆる物が本来あるべき位置に片づけられ、本来あるべき位置を持たぬ物は捨てられる。場所ふさぎの蔵書にまでその手が及ぼうとしているのには若干抵抗があるけど、基本的にはとてもよいことだと思っている。
と言うのも、子供が生まれてから五回目の師走を迎えて初めて、家人の心に余裕のようなものが生まれそれがこの嵐のような大掃除に結びついているように思われてならないからだ。師走は決まって仕事が忙しく、そうなるといきおい酒量が増えて休日は昼行灯のようにぼんやりしている自分はほとんど何の役にも立たない。それで毎年この時期になると家人の大奮闘が始まるわけだが、今年はそれがはるかにレベルアップしたものとなっている。そこに、思うさま掃除に打ち込むことのできる心の余裕みたいなものが感じ取れるのだ。
育児がだいぶ楽になったことがその理由と思える。昨年と今年だけを比べてみても子供の聞き分けは飛躍的によくなった気がする。腹を立てる回数が減ったし、腹を立てたとしてもこちらの出方次第でうまく気をそらせられるようになった。それより前、一昨年以前のことを思えば育児の負担軽減の幅はちょっと計り知れない。家人が一方の部屋を掃除している間にもう一方の部屋で子供につきっきりになっていた記憶があるが、授乳その他で家人が掃除に打ち込める時間はそう長いものではなかった。またそうなると家人の疲労も今から見ると比較的すぐにやって来た。つか、平生から深く疲労していたのだ。
そのことを言うと家人は照れたように笑った。もちろん僕は今年の家人の大活躍を評価してやまないけど、それ以上に価値があると思うのは子供の成長と、その成長のせいで家人の心に生まれた余裕のようなものだ。それが大掃除という形で表れているのを目の当たりにして、僕は僕で本当によかったことだと思う。そしてそういう見方は間違っているのかも知れないと思いながら、頭の中に「復旧」という言葉が浮かぶのを抑えられない。僕たちは立ち直りつつある気がするのだ。