指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

泣いた、泣いた。

流星ワゴン (講談社文庫)

流星ワゴン (講談社文庫)

こういうことは本当はもっと慎重に言った方がいいのかも知れないけど、男親が息子を思う思いというのにはすごく特殊なものがある。そんなことを言えば男親が娘を思う思いにだって女親が息子や娘を思う思いにだってそれぞれ特殊なものがあるに違いない。でもまあそれはそれとして、僕は男親で子供は息子しかいないので男親が息子を思う特殊さしか実感としてわからない。そしてそれは、息子を持つ男親同士でしか本当は共有できないのではないかと思われるほど特殊な思いだ。
「流星ワゴン」はその特殊さをとてもうまく描いている。そこでは愛憎のうちの憎の方が主人公たちを取り巻く現状となっている。これは主人公が自分の父親に感じる根の深い憎であり、主人公が自分の息子から引きこもりみたいな形で向けられる憎だ。憎もまた愛の形だと言ってもここでは何の力も持たない。重要なのは現状の憎を具体的にどう別のものに転化して行くかという課題だ。転化できなければ主人公はもう生き延びて行けないように設定されている。しかし具体策など何もなく主人公は途方に暮れている。
その主人公の前にもうひと組別の父と息子が現れる。この親子はひどい悲劇をかいくぐって来たが、その悲劇をかいくぐることによってほとんど理想的とも言える父と息子になることができている。でも彼らをうらやんでも仕方ない。またうらやむ気にもにわかにはなれない。それほど彼らがくぐり抜けた悲劇は取り返しがつかないものだ。
その理想的な父子像を直接にお手本にするような安易な展開ではないけど、主人公は彼らと出会うことで少しずつ気づいて行く。そして自分の親に対しては憎をやわらげて親和の方へ、自分の息子に対してはもう少し細やかな心遣いの方へ押し出されて行く。ついでに言うと主人公の妻はテレクラで出会った行きずりの男と次々に関係を重ねているのだが、その妻に対しても少しだけ理解を深める展開になっている。でも作品の主眼は主人公の他人に対する親和や理解の進展にあるのではない。全編が終わっても、主人公に訪れているのはせいぜいが、自分の親や子や妻に対する「気分」の違いくらいでしかない。また自分が劇的に変わったところで周囲を変えるほどの力を持ち得ない、という無力感を、主人公は最後まで手放していない。そういう停滞感こそが作者が描きたかったことなのではないかと思われる。相当に劇的なことが起こっても自分たちの暮らしは(少なくともよい方には)変わらない、そういう生活実感がこの作品の停滞感にうまく象徴されている気がする。
でも親に対する主人公のゆるみ方とか何しろ父と息子の心に迫る場面が多すぎて10ページに一回くらいは涙がこみ上げそうになった。最後は周りに誰もいない環境で読もうと思って部屋にこもって最後の200ページくらいを読んだところ、号泣した。本でこんなに泣いたのは随分久しぶりだ。男の子を持つ父親のみなさんにはおすすめです。