指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

幸せってなんだ。

つばめの来る日 橋本治著 「つばめの来る日」
随分以前のことになるけど音楽番組のインタビューでどこかのバンドのメンバーが「バンドの醍醐味」みたいなことを言っていたのを聞いたことがある。つまり年季の入ったバンドにはバンドならではの一体感と言うか、ノリと言うかそういうのがあって、それはバンド以外では味わえない何かなのだ、という趣旨だった。それを聞いてものすごく感心したのでいまだに憶えているのだと思う。聴く耳を持ってる人ならそんなバンドの醍醐味が音に現れてるのを聴き取ることができるのかも知れない。残念ながら僕には聴き取れない。
ただ夫婦の醍醐味みたいなのは自分にもわかる気がする。結婚してまだ十二、三年なんだけどなんて言うかこういう心の通わせ方というのは、肉親とも違うしたぶん夫婦特有ですごくいいもんだな、と思うことがある。ええとそれは、以心伝心とかそういうことではないです。説明すべきことはきちんと説明しなければわかってもらえないし、それを問わず語らずでわかってもらおうとすると甘えになる。でもそれを説明することで自分がどういうことを感じ何を望んでいるかというのが瞬時にわかってもらえたりすることがある。結局のところ夫婦はお互い相手のためになりたいと思っている訳で(もちろんそうじゃない夫婦もいるとは思うけど。)、そのベクトルが共有されていると時にはいろんなことがものすごくスムーズに行ったりする、というそういうことです。僕はこの、夫婦の醍醐味みたいなものを家人との間に持っていることを、とても幸せなことだと思っている。それはひとりでいたのでは決して気づくことのできなかった幸せだ。
前置きが長くなった。「つばめの来る日」に収録の九編はいずれも男性を主人公にしている。そして彼らは一様に彼らなりの幸せを追い求めているように見える。このうち既婚者がふたりいるがそのふたりは上述の夫婦の醍醐味みたいなものを幸せと見なしてはいないようだ。幸せがあるとしたら妻以外の場所にそれはあると考えている。またゲイがふたりいて彼らは自分の好きな相手と結ばれることをとりあえず幸せと見なしているようだが、いずれにせよ九編の九人が九人、ひとりぼっちの自分として孤独に幸せを望んでいる像になっている。その中で個人的に一番共感したのが「星が降る」の中学生だ。彼は九人の主人公の中では最も年下で、もしかしたら他の八人のプロトタイプと言えるかも知れない。彼は夜になると部屋を抜け出して近くの自動販売機でジュースを買い、夜の美しさを楽しみながらそれを飲む。僕も中学三年生の頃、夜中受験勉強に飽きるとこっそり家を抜け出して最寄りの自販機でジュースを買い、夜の切なく寂しい美しさを楽しみながらひとり飲んでいた憶えがある。誰にもわかってもらえないと思っていた。だから自分でなんとかするしかなかった。そんな気持ちはこの短編集の主人公たちと共通しているんじゃないかと思う。幸せを誠実に追い求めたら男は孤独になるしかないのかも知れない。でもその孤独を打ち破ったところに僕は幸せを見つけて、その代わりに誠実さを失ったことになるのかも知れない。そんなことを思った。