指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

中南米らしい小説。

暇だから余計なことを考える訳だが、この前の木村榮一さんと高橋源一郎さんのトークショーで、木村さんがガルシア=マルケスの作品を評して中南米らしい小説とおっしゃったのが何となく気になっている。具体的にどんなことが言われているかがわからないせいだと思う。木村さんの講義を毎週聴いていればそれなりのイメージはつくれるのかも知れない。
中南米らしい、と言うときその特徴は地域性に関連づけられている。その地域性について無知な場合はその言葉も無効になる。僕は中南米について無知なので中南米らしいという特徴づけも僕の中では無効になってしまう。だからもっと勉強した方がいい。そういう自戒に結びつければ話は終わるところだ。
でも言い訳めくけどちょっとだけ異論もあって、それは地域性という空間軸ではなく時代性という時間軸で作品を特徴づけることもできるのではないかということだ。
でもそう記した途端に、時間軸より空間軸の方がはるかに多様で、だから空間軸より時間軸を採ること自体が怠惰なのではないかという自問がやって来る。これは簡単には覆せない自問だ。
おそらくより簡単に普遍性のようなものにたどり着けそうな気がして、僕は時間軸の方を優先しているに違いない。それはあの有名なたとえで言う蟹が自分の甲羅の大きさに従って掘った穴、というのと同じことだ。