指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

そんなにたくさんの友だちが本当に必要か。

父親の仕事の関係で幼稚園を卒園して小学校に入学する前に引っ越した。数ヶ月後ちょっと用事があるという父親に連れられて元の家の近くまで行ってみたことがあった。一番仲の良かった友だちを訪ねたら、彼は僕のことを忘れていた。僕ははっきりと憶えていて彼と会うのを楽しみにしていた。でも僕が何を話そうとも彼からの答えはなかった。もしかしたら突然のことでびっくりしたのかも知れない。子供らしいはにかみみたいなものだったかも知れない。彼の方が僕より大人でだからそういう際に何らかの屈託を持つのが彼にとって自然だったのかも知れない。いずれにせよ僕は相当がっかりした。同時に何だかすごく恥ずかしかった。
小学三年生のときと中学一年生のときにも同じように転校した。それが僕の孤独を育てた、と言うと何だか被害者面しているみたいでいやだけどおそらくそれほど間違ってはいないと思う。
新しい学校に入って行くということは新しい共同体のルールの中に入って行くということだ。周りの子供たちが無意識に従っているそのローカルルールを新参者はいったん意識に上らせ意識的にそれに従わねばならない。それは常に緊張を強いる作業で心をある面で研ぎ澄ませるがその分だけ孤独を深める。常に意識的にふるまうということは常に嘘を吐き続けるという体験にすごくよく似ていて、嘘は人を孤独にするからだ。というわけで僕は結構ひとりだった。そしてひとりであることをいつも恥じていた。
おそらくそのせいだと思うが、ひとり対ひとりで向かい合ってくれる友だちしか受け付けなくなった。そしてそういう友だちがひとりいさえすれば、それ以上の友だちを必要としなかった。中学高校大学と、それぞれひとりふたり友だちができた。それで充分だった。
そういう体験があるので特に若い人たちの間で友だちが大事みたいな風潮があるのを結構気味悪く思っている。何かをごまかしているんじゃないかという気がする。もっと自分の孤独と向き合った方が自分の輪郭がはっきりするし、そうすれば正しいか間違っているかはともあれ、自分なりの意見や判断が持てるようになると思うんだけど。