- 作者: 阿部和重
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/07
- メディア: 文庫
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その頃北杜夫さん経由でトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」を知り繰り返し読んだ。文学が自分の運命だとまではさすがに思えなかったが、そうなればいいとは思った。自分の額に刻印があればいい、と。
でも「トニオ・クレーゲル」をよく読めばそういう理屈になると記憶しているが、自分の額に刻印があるということは取りも直さず(道を踏み誤った)俗人であるということだ。トニオ自身は芸術に対して一貫して倫理的な態度をとっていた。でも友だちの芸術家からは本当の芸術には倫理など要らないと知らされる。これによってトニオは自分を俗人だと認め自意識の苦痛にさいなまれながらも自分を受け容れそれを幸福だと思うようになっている。本当の芸術家よりトニオの立場の方が魅力的に思えるのは、作者自身の姿が投影され幾分強めに正当化されているせいだと思われる。
余談になるがトニオの考え方は金貸しの老婆を襲う際のラスコーリニコフの考え方と表裏をなしている。ナポレオンのような英雄は倫理を踏み越えてよいというラスコーリニコフの姿は、「トニオ・クレーゲル」の中の本当の芸術家の姿に重なる。トニオはこれに異を唱えたかった。確かトーマス・マンはドストエフスキーの熱心な読者だったと記憶しているので、それほど見当違いではない気がする。
ラスコーリニコフとトニオ・クレーゲルが演じた自意識のちからわざを継承するのが本作の主人公だ。彼には倫理はほとんど感じられずその替わりに強い自己肯定力が備わっている。それが彼が夢見る運命をどこまでも強化して行く。もう少し知的になれば「愛と幻想のファシズム」の主人公に似て来る。「とうや」と「とうじ」で名前も似ている、というのはちょっと無理か。
クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」のメロディーが頭に思い浮かぶようだと趣が一層加わるかも知れない。個人的には大好きな曲だ。