指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

短冊に願いを。

七夕が近くなると幼稚園ではひとりひとりに笹の枝が配られ、紙を切り抜いてつくった飾りや短冊などを思い思いに飾り付けたのを持って帰って来る。子供の短冊にはこう書かれていた。

ようちえんがむしいっぱいになりませんように

少し前に幼稚園の園庭でチャドクガという毒を持つ蛾の幼虫が発生し、園庭の一部に子供たちが近づくのが禁止されたことがあった。子供はこのことに親が思うよりもずっと心を痛めていたらしい。そう言えばもともとあまり虫は好きではなく、図鑑のカブトムシやクワガタなどにはそれなりに興味を示す一方で、公園にいた毛虫をひどく遠回りして迂回しているのを見かけたことがある。
この願い事はすごくいいと思った。ユニークだし、目下の自分の最大の関心事によく言葉が届いている。少なくとも「ウルトラマンになれますように」、「バレリーナになれますように」といった願い事には無い切実さが感じられる。自分ひとりだけのことをお願いしているのではない気配もちょっとあってそれも親としては好ましい。
最近あった幼稚園の先生と保護者との面談で家人が子供に関していくつかの問題点を指摘された。中に棒登りや鉄棒が苦手だが、できなくても構わないという諦めがあって、そこはもうちょっとがんばるように指導して欲しいというのがあったそうだ。でも僕は思うんだけどそういうのは、着替えの時に脱いだものを散らかすのでちゃんとたたむように指導して欲しいというような問題点(実際これも指摘された。)とは異なり、一概にすぐに改めればいいというものでもない。子供は自分で興味を持ったことになら割とのめり込んで熱中するし、たとえば教えもしないのに結構な量の漢字がすでに読める。早い時期から文字に興味を持っていたせいだが、別にそういう風にし向けた訳ではなく本人の自発的なものだ。僕としてはそういう方を評価しのばしてやりたいと思っている。僕自身棒登りなんてこれまで一度もできたことがないし、逆上がりだって小学校四年生のとき大変すばらしい教師の指導を受けるまでできなかった。そんなのできなくたって全然構わなかった。
先生からは子供の何かを評価する言葉はひと言も聞かれなかったそうで、おそらくそれが気にくわなくてこんなことを書き始めた訳だ。親バカとしか思われないだろうが、子供が成長してぼんやりと自分の輪郭らしいものを形作り始めた中に、どうしても美しいとしか言いようのない何かがある、そんな光景が親の目には映し出されている。