指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

はじめての橋本治。

愛の矢車草 (新潮文庫)

愛の矢車草 (新潮文庫)

ちくま文庫から新装版が出ているらしいがこれはブックオフで百五円の新潮文庫版。
橋本治さんの作品は前々から読んでみたいと思っていた。高橋源一郎さんの絶賛があったからだ。それでもこれまで読まなかったのは、どこから入って行っていいかわからない橋本さんの多面性のせいだったように思われる。それは逆に、読むならきちんと読みたいと無意識に考えていたことを意味する気もする。できる限りの橋本さんの作品を(できれば廉価で)集めて休暇をとって時間を開け放ち、ごうごうと音を立てながら次から次へと読む。そんな風に読みたかった訳だ。そうすれば多面体の角もとれまろやかな球体のイメージで橋本さんを捉えられる気がしたのだ。
でも当分そんな贅沢は自分には許されなさそうだと最近思われて来た。とりあえずどこからでもいいから橋本さんの作品を手に取りたくなった。
この作品集は「第一章 愛の陽溜り」、「第二章 愛の狩人」、「第三章 愛の牡丹雪」、「第四章 愛の矢車草」という章立てでできている。章とは言ってもそれぞれが別々の短編だと言ってよい。第一章は昭和五十五年「小説現代」三月号に第二章は昭和五十四年「小説現代」九月号に掲載されたとある。残りの二章は書き下ろしでいつ頃書かれたかは不明だが発行が昭和六十二年の十二月なのでいずれにせよそれほど新しい作品ではないことがわかる。文庫化の前に単行本化があったかも知れないがそれに関する記述がないので文庫オリジナルかも知れない。
一見して笑っちゃうようなださいタイトルで各章がまとめられているが、前二編と後二編ではテーマがかなり異なっているように思われた。前半二編は愛を拡大解釈したような普通では気がつかないような愛のありようが取り上げられている。後半で取り上げられているのは父権の失墜だと思われる。「愛の牡丹雪」のヤエの夫と「愛の矢車草」の卓也の父親は自分のイメージ通りに家族が立ちゆかなくなった事態に際して同様のヒステリックな反応を示す。彼らの中ではイエも父権もこれまで通り機能していなければならないのに、それを補完するべき家族はすでに思い思いの方向に歩み出しているからだ。イエや父権を支えるものはもともと愛などとは別のものだたっため彼らには家族に愛を与える術がない。だからヤエや卓也が発見した愛の前では無力なのだ。
ヤエにせよ卓也にせよその見出した愛は常識から言うと少しだけ不思議な形をしている。でもその本質は自然でまっすぐな印象を与える。自然でまっすぐなものが現れとしてはちょっと不思議な形をとらざるを得ないこと、それがこの作品集の奥の深い切なさを支えている。