指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

夏みかんの謎。

夕方子供と散歩していた。最近子供は見たことのない道に踏み込んで行き思いがけない場所へ出ることが楽しいらしい。分かれ道に出て、どっちに行く?と尋ねると、迷子になってしまうことも辞さずにとにかく行ったことのない道を選ぶようになった。それに着いて行くのは僕としても楽しい。その気になればすぐにうちに辿り着ける範囲で意外と深いさ迷い感が得られることもよくわかった。
今日もそんな風に今まで行ったことのない道に踏み込んだ。そういうときは結局行き止まりで引き返して来なければならないことも多いので、この道は行けるかな、行き止まりかな、とか子供と話しながら歩いていると、そそくさという感じで前を歩いていた小柄でやせたおばさんがくるりと振り返った。手には大きめのみかんをひとつつかんでいて、ひじに下げた袋には同じような大きめのみかんがたくさん入っている。
すっぱい夏みかんですけど、よかったらどうですか、とおばさんは言った。残念ながらおばさんの率直な申し出に対し様々な断りの理由が一瞬頭に浮かんだ。でもそれらをすぐに押しとどめることができたのは、おばさんの余計なことを考慮していない善意のまっすぐさと、ここでこの申し出を断ったらその理由を子供に納得させるのはたぶんすごく大変だろうという予測のためだった。だってこの夏みかんが安全だとは限らないじゃないか。じゃああのおばさんは悪い人なの?いや、そういう訳じゃないけどさ。
帰宅してから家人がむいてくれたその夏みかんは確かにものすごくすっぱかった。でも家人は大変気に入ったようで僕にくれた二房の他は全部食べてしまった。僕は二房食べるのが精一杯だった。
おばさんはどうして見ず知らずの親子に夏みかんをくれたのだろう?僕らのたたずまいにどこか哀れでも催す何かがあったのだろうか。それとももともと何かを人にあげ慣れている人なのだろうか。餃子の一件がマスコミを毎日にぎわせているときに、特にそんなこと気にする風でもなかったのはどうしてなんだろう?