指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

変愛という言葉の持つ意味。

変愛小説集

変愛小説集

アンソロジーだがどの作品もおもしろく読んだ。変愛とは編訳者の造語だと思われる。ただ、変な愛を扱った短編アンソロジーという趣はあまり無い気がする。愛にどこまでも忠実であろうとすれば人がどう思おうとなりふり構っていられない。その姿は客観的には変かも知れないが、主観的には根拠も目的もはっきりしたまっとうなものだ。だから愛のせいでみっともない姿を人目にさらしたことがある読者なら、少なくともこの本の中の何編かについては、どちらかと言えば共感するのではないかと思われる。それが収録された作品群の中でひとつの系列をつくっている。もうひとつ系列があって、それは愛と言うよりその愛の置かれた状況が変だという作品たちだ。これらふたつの系列は、どちらも幻想小説のような味わいを持っていることで共通している。前者では主観が、後者では世界のあり方が、幻想的な印象を抱かせる根拠となっている。そしてそういう作品が集められたところに、編訳者の好みと、ほとんど同じことだがこの本の意識的、あるいは無意識の核心とがあるような気がする。
岸本佐知子さんの翻訳を初めて読んだのは、スティーヴン・ミルハウザーの「エドウィン・マルハウス」だったと思う。僕はその本が大好きで、ピューリツァー賞をとった「マーティン・ドレスラーの夢」よりずっといいと思っている。柴田元幸さんや黒原敏行さんみたいに、この人の訳すものならおもしろいに決まってる、という訳者に遅まきながら岸本さんにも加わっていただくかも知れない。もっとも黒原さんはコーマック・マッカーシーの作品しか読んでないけど。そのマッカーシーだが「ザ・ロード」の翻訳を今日見つけた。手に取って買い、書店を出てからしばらくするまで背筋がぞくぞくした。