指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

どんなひげそりにも哲学はある。

村上春樹さんの小説やエッセイに何度か出て来た言葉だ。もちろんこれはひげそりの話をしてる訳ではなく比喩なんだけどそこをあえてひげそりに限定して考えると、自分にはどうもそれほど確固としたものはないように思われる。でも、電気シェーバーを使わないこととできるだけ剃らないようにすることがまあこだわりと言えば言える。
電気シェーバーを使わない理由は、剃っている最中にシェーバーの肌に当たる部分が自分の体温で妙に生温かくなるのが気持ち悪くて嫌いなことと、剃り終えた後に肌がかさつく感じがしてそれも嫌いなことだ。だからコンスタントにひげが生えてくる年、たぶん高校生くらいだったと思うけどそれ以来T字型のかみそりを使っている。もしかしたら最近の電気シェーバーは技術的に進化して肌が生温かくならなくなっていたりかさつかなくなっていたりするのかも知れないけど、わざわざ試してみる気もないしおそらく生涯ウェットシェービングを貫くと思う。
できるだけ剃らないというのは剃らなければならない日以外は剃らないということだ。今で言うと外回りに出かける日や来客が予定されている日は剃るけど、そうでなければ剃らずに出社する。休みの日は基本的に剃らない。GW明けなどは結構なくまごろう(実在のくまごろうさんたちには申し訳ない言い方だけど。)になる。もともと毛が柔らかいので多少伸びてもひげそりに苦労するということはない。
フランクフルト滞在の最終日は特に予定が無かったのでひげを剃らなかった。そのままおよそ24時間後に帰宅し、翌日は外回りも来客も無かったので剃らずに出社した。すると何人かからひどくやつれたようだと言われた。それでちょっとまじまじと鏡をのぞき込んでみたら、確かに時差ぼけのせいか目が虚ろな気もしたが、それ以上に無精ひげのインパクトが思いの外強かった。それはやつれたと言うよりみすぼらしいとか、汚らしいという言葉の方がはるかにふさわしい印象を与えた。若い頃はそういうことは無かったのでこれは年をとったためにできあがった印象だと思われる。
先ほどコンビニにビールを買いに行ったんだけど、例によって二日ばかりひげを剃っていず、風が強かったので髪も乱れていて、そんな様子でビールばかり何本も買ってすごくすさんだ中年男に見えていることだろうと思った。