指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「突き抜け」の感覚。

真説・外道の潮騒

真説・外道の潮騒

宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」の後半で千が海面すれすれを列車に乗って走っているのを見るとき、ああ、あっち側へ行ってしまったんだなという感じが強くする。それは静かでうそ寒いようなもの悲しいような感じで、これまで何度か体験したことがある。この物語を自分の力で首尾一貫したものとして解釈することはできなくなってしまった、という失望がその感じ方の根拠になっているように思われる。言い換えると物語が物語の持つ最大限の張力を振り切ってぷつんと切れてしまい、どこか向こう側へ突き抜けて行ってしまったと感じられるとき、あの静かなうそ寒さ、もの悲しさがやって来る。僕はそれを自分で「突き抜け」の感覚と呼んでいる。以下は余談だが、「千と千尋の神隠し」という作品をどんな意味でも評価しないが、このシーンでだけは作者の狙いが僕にも少しねじ曲がった形で、でも力強く伝わって来ていることになる。作者と僕はそれぞれ別々の方向を目指しながら、交点のようなこの一点でだけは共感している。作者はそれを、それでよいと見なし、僕はそれを、それでは間違いだと見なしているだけの違いだ。
町田康さんの新刊「真説・外道の潮騒」を読みながら「千と千尋の神隠し」を思い出したのは、前述の「突き抜け」の感覚に似たものを覚えたからだ。主人公は自分の高い倫理を維持しつつ外道たちとねばり強く戦って行く。主人公の倫理は町田さん独特の羞恥心や真実と虚構をめぐる深い思索や音楽や読書に培われた審美眼などに支えられていて、これを作者の生の声として読むと、ときにはっとさせられるほど研ぎ澄まされている。この主人公の倫理の一貫性や力強さ、また主人公がそれを維持するねばり強さが、理屈の上では外道たちの言い分を粉砕しているにも関わらず現実にはそうなっていない前半は、主人公に共感もするしペーソスのような皮肉なおもしろみに満ちている。でも後半のあるところから主人公の倫理は変質して行く。状況は何ら改善されないまま、ただデッドエンドだけが近づいて来る。そして主人公は「千と千尋の神隠し」の海と、ある意味似通った場所にたどり着く。少し前から「突き抜け」の感覚がやって来る予感がある。そして主人公は突き抜けてしまったのかも知れない、あの静かなうそ寒いようなもの悲しいような向こう側へ。でもそれは「千と千尋の神隠し」のように僕をがっかりさせない。もちろん、物語の描き出す線が最後まで途切れていないからだ。