指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

目を離す、ということ。

知り合いのご高齢のお母さまが心筋梗塞で倒れられた。命に別状はなく、一週間ほど入院した後自宅で療養なさっている。お父さまも亡くなっているので、今そのお家は知り合いとお母さまのおふたりの暮らしだ。
退院してしばらく、知り合いは会社も早退したりして、できるだけ長い時間お母さまのそばにいるよう心がけていた。それが最近変わって来て、むしろ元の暮らしに戻すようにしていると言う。仕事も元通りするし、たまには飲みにも行く。短い出張なら引き受ける。僕にはそれを聞いただけで知り合いの心の中で何が起こったのかがわかる気がした。ひと言で言うと、ずっと100%の力を込めて心配し続ける訳には行かないということだ。
たとえば最近子供が自転車に乗るようになったけど、僕の父親などは、危ないからそんなものに乗せるな、くらいなことを言う。でも、友だちの多くが乗っていて、そのことを本人も軽く気にし始めていて、自分から乗りたいと言い出したものを、乗るなとは言えない。自転車に乗れるようになったことで、もしかしたら事故に遭う可能性とか随分増えるのかも知れない。でもだからと言って自転車で子供が出かけている間じゅう、心配のし通しという訳には行かない。それでは日常というものが立ち行かなくなってしまうからだ。100%心配したり執着したりすることは時に人を日常を越えたどこかへ連れ去ってしまう。それは心のあり方としては病態に近い気がする。
知り合いも僕もそこから目を離すことに決めた点で共通している。