指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

勝手にふるえてろ?

勝手にふるえてろ
行間も広いし短めの長編と言うか長めの中編と言うかが一作入ってるだけだしどうしようかなと考えてたんだけど結局購入。読みやすいし引き込まれたし最後のページではものすごく感動した。やっぱ買ってよかった。
気づくということの中には必ず自己否定のニュアンスが含み込まれていると普段から思っている。現状でよい、このままでOK、と無意識に思いこんでいる自分を一旦は否定しないと、何かに気づくことはできないと考えるからだ。たとえばあの人自分のこと嫌ってるんじゃないかなと思ってる相手がいたとして、あるときいやそうでもなくて結構気に入られてるんじゃないかな、と思い直したりする経験があると思う。そういうときは相手に嫌われていると思っている自分を一旦否定しないと、結構気に入られているかも知れないという気づきは手に入らない。もちろんその気づきも正しいかどうかはわからず、花びらを一枚一枚ちぎりながら好き、嫌い、好き、嫌い、と占うような事態がその後どこまでも続いて行くかも知れないが、その一々の場面で自己否定の契機が現れていると見なしてよい。
そういう言い方をしてしまうと、「勝手にふるえてろ」は、気づきと自己否定の果てしない物語の中に意外にすっぽり収まってしまうと言えば言える。ただしその気づきと自己否定のひとつひとつが、ある感受性の型に支配されることによって見たこともないような鮮やかな姿をとって現れている。その感受性の型にどれだけ作者のなまの思いが反映されているかはわからないが、その型を作品の中に実現できているのは明らかに作者の独創性と力量のせいのように思われる。個人的には違和を感じ続けたが、それはなるほど女子ってこういうことをこんな風に考えるんだね、という驚きに裏打ちされた、心地よい違和感だった。
ところでタイトルの「勝手にふるえてろ」だけど、一度読んだだけでは意味がわからなかった。読み返してみて、その場所でかなり決定的なことが起こっていることに初めて気づいた。