指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

詩とフィクション。

ウルトラマリン (村上春樹翻訳ライブラリー) 象 (村上春樹翻訳ライブラリー) レイモンド・カーヴァー村上春樹訳 「ウルトラマリン」 「象」
今読んでいる本の中でカーヴァーは詩を書くのを創作と呼んでいる。普通、創作と言えばそれはフィクションと取るのが自然だと思う。ルポルタージュを書くのを創作とは言わないだろう。でも詩の創作と言う場合、だからと言って詩を直ちにフィクションと呼ぶ訳には行かない気がする。僕は詩についてはずぶの素人だけどそれでも詩をフィクションとかノンフィクションとかに分類するのは無理なんじゃないかくらいのことはなんとなくわかる。詩の中の何かがそうした分類とは原理的にそぐわないように思われる。
なぜそんな変なことを考えるのかと言うとカーヴァーの詩を読んでいると、短編小説よりもずっと近いところに作者を感じる瞬間があるからだ。小説は小説でもちろん共感したり身につまされたりするんだけど、作者の息づかいが感じられそうなほど近寄った感じがする体験は詩ならではだと思う。作者は詩では、小説よりもずっと無防備と言うかダイレクトと言うか、そんなスタンスを取っている。
だから、カーヴァーの詩がどういう位置で書かれているのかがとても気になる訳だ。どの程度のことが事実でどの程度のことがそうでないか。もちろんそんなこと考えてもわかりっこないんだけど、普通小説ではそういうことはあまり気にしなくていいことだから。
「象」はカーヴァーの最後の短編小説が収められている。それらは今までの作品とやはり少し違っている。村上さんの解題で泣いたけど本編で泣かずに解題で泣くいうのもなんだか変だ。