指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

カーヴァーの終わり。

滝への新しい小径 (村上春樹翻訳ライブラリー) レイモンド・カーヴァー村上春樹訳 「滝への新しい小径」
カーヴァーの遺作となった詩集。初めはこれまでより難解だなと思いながら読んだ。カーヴァーのヴォイスが今までより明らかに硬質な響きになっているからだ。でも最後の方はとても率直で虚心坦懐と言うか、そういうものになっている。訳者はその辺を読んでいてつらい、と評しているけど、作者との間に訳者とは比べものにならないほど距離がある身にしてみると、そこにはある種の救いがあるんじゃないかという風に感じられる。でももしかしたら救いがあるということと読んでいてつらいということとの間にはそれほどの差はないかも知れない。確かに感じ取れるものがあって、その解釈の違いに過ぎないのかも知れない。
まだ「ビギナーズ」が残っているけどカーヴァーの作品を読むのはひとまずこれで終わりにしようと思う。「ビギナーズ」はもう少し時間を置いて読むべきなんじゃないかという気がするからだ。これからカーヴァー関連の本人の著作でないものを二、三読んで、僕にとってのカーヴァーはいったん終わる。
村上春樹雑文集」に導かれて、スコット・フィッツジェラルドカズオ・イシグロレイモンド・カーヴァーと読んで来た。それでカーヴァーだけがきちんと終わった気がしている。イシグロは現役の作家なので終わりということはできないのは言うまでもないけど、フィッツジェラルドは訳されているものの数が少な過ぎてとうてい終わった感じにならない。でもカーヴァーはきちんと終わる。村上さんがきちんと終わらせているからだ。カーヴァーが短編に常に手を入れて新しいものに書き直したように、村上さんの訳も更新される可能性が示唆されているが、それはそれ、ということになるだろう。つきあう必要を感じればつきあうかも知れないし、そうでなければ放っておくかも知れない。それは読者よりも訳者にとって意味のある作業じゃないかという気がするからだ。
手始めにどれか一冊おすすめをという問いが来たとしたら、僕なら「大聖堂」を選ぶと思う。