指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

仏様の手のひら。

わたしの彼氏 青山七恵著 「わたしの彼氏」
タイトルを読んでなんか主人公は「わたし」で、その「わたし」が語る「彼氏」の話のように思っていたけど、どう考えても主人公は「彼氏」であって「わたし」ではない。でなければもっと普遍的な「わたしの彼氏」を指していると考えた方がいいのかも知れない。でもほんとは普遍的な「わたしの彼氏」という言葉が具体的に何を意味しているか我ながらよくわからない。もしかしたら語り手はこの話が終わった後に主人公に出会い彼氏にして、その彼氏の話を振り返って語っているのかも知れないとも思ったけど、そういう気配も無い。ああ、もしかしたらこの小説に登場するすべての女性が主人公を「わたしの彼氏」と思ってるって意味なんだろうか。さっき自分でも首をかしげながら書いた普遍的な「わたしの彼氏」とはそういう意味なんだろうか。それだと結構わかる気がする。主人公の三人いる姉たちも、きっと弟を彼氏と思っているのだ。なるほど、それはあり得る。かっこよくて好感を抱かせる主人公はどの女性にとっても「わたしの彼氏」なのだ。あー、すっきりした。
そういうのってすごくうらやましいかと思いきや、主人公鮎太郎はもてることを通して不幸の方へ踏み出すあり方を持っている。気になる女性は必ず鮎太郎を受け容れてくれる(気にならない女性ですら受け容れようと待ち構えている。)が、その先には必ずちょっとした不吉な出来事が起きて、自分には落ち度の見当たらない唐突な別れがやって来る。主人公の並はずれた容姿はそういう設定を際だたせ納得させるためのしかけのように思われる。たいていの男の子にとっては、必ず別れが来る不幸など以前の、女の子に好感を持たれないことこそ一番の問題だろうからだ。
それとは別にこの作品の魅力は舞台のこぢんまりした感じだと思う。地方都市の大学町で主人公はその大学の学生であり、登場人物のたいていはバスや電車を使えば行けるところに住んでいる。友人や恋人はもとより、姉のうちふたりまではその圏内にいて、主人公の出先はほぼその中に収まる。また残るもうひとりの姉のみ離れて日本海側の町に住んでいるが、主人公がそこへ赴くとすかさず地元の姉のひとりから電話がかかって来る。そのとき姉三人の描く三角地帯から主人公は決して抜け出せないような印象がやって来る。仏様の手のひらを逃れられない孫悟空みたいだ。それは主人公をどこまでも保護し安らがせ慰撫するかも知れないが、反対に外の女性との関係をしっかり結びたい主人公にとっては無意識の足かせとなっているように思われる。手のひらの外に出なければ、姉以外の女性との幸せにはたどり着けないような気が個人的にはした。