指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

猫好きの倫理。

猫に時間の流れる (中公文庫) 保坂和志著 「猫に時間の流れる
保坂さんの作品はこれまで「プレーンソング」しか読んでいないと思う。今調べてみたら、町田康さんの「くっすん大黒」の文庫版解説を保坂さんが書かれているのを読んでものすごく感激したことをここに書いているけど、「プレーンソング」の感想は書いてないみたいだ。どうしてかは今となってみるともうわからない。ただ、これからしばらく保坂さんの作品を読もうと思ったきっかけは言うまでもないかも知れないが「書きあぐねている人のための小説入門」を読んだことだ。それで保坂さんの文学観が随分はっきりわかったし、しかもそれに共感したからだと思う。
猫に時間の流れる」には二編が収録されている。表題作と「キャットナップ」だ。双方に共通してあるのは猫好きの人の猫に対する倫理観で、それは去勢した方がいいかしない方がいいかということだ。表題作にはもう少したくさんの倫理のあり方があって、たとえば家で飼うか外にも出すか、とか、猫の行動のどのあたりまでを本能と見てどこからを個性と見るか、とかそういうことも問題とされている。そういうのはでもどうでもいい人にはどうでもいいことのような気がする。少なくとも特に猫(あるいはもう少し広く生き物)が好きでなくこれからも猫(あるいは・・・以下略)を飼うことなどあり得ない人にはまるで問題にならないように思われる。ではそれは何かの比喩なのかと言うとそういう風にも思えない。比喩でなく目の前にいる猫とどうつきあうかという具体的な話なのだ。では猫でつながっていない読者にはこれらの作品は伝わって来ないかと言うと、それもまた違うような気がする。
では何が伝わって来るのだろうか。たぶん登場人物たちのやりとりやそれぞれの心の動きみたいなものが伝わって来て読者はそれをおもしろいと感じるのだと思う。猫はそれを媒介する何かに過ぎず、極論すれば猫でなくてもいいのかも知れない。いや、おそらく作者にとっては猫でなくてはいけないのだろうけど、読者にとって本当に重要なのはある中心(ここではそれはもちろん猫)が日常に投げかける波紋と、波紋を受け止める日常そのものだという気がする。猫には普遍性はないかも知れないけど猫の影響を受ける日常には普遍性がある。この二作はそんな風に書かれているように思われる。