指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

希薄さへの入り口としてのさいたま新都心。

ランドマーク (講談社文庫) 吉田修一著 「ランドマーク」
かなり乱暴な言い方だと思うけど、読んでる最中、主人公はさいたま新都心という場所そのものなんじゃないかという気が何度かした。クルマを使ってか歩いてかはわからないけど(その両方でも構わないんだけど。)、作者がその場所をかなり綿密に動き回ってしっかりしたイメージをつくりあげているように思えたことがひとつ。またふたりの主人公がその場所の影響を色濃く受けているように思えたことがひとつ。
前者について言えば作者が実地に取材してしっかりつくりあげたイメージは、なんだかつるつるしてとらえどころのない街としてのさいたま副都心ということになる気がする。何かが希薄な感じだ。そしてその希薄な街の希薄な空気を呼吸する主人公ふたりもまた、自らの存在感を希薄なものとしてしか受け取れなくなっている、後者ではそういうことを言いたい訳だ。
さらに、さいたま副都心はそういう希薄さを自分ひとりで背負わされている訳ではなく、東京の希薄さへの言わば入り口と位置づけられてもいるようだ。主人公の片方犬飼は、突然の暴力(それは肉のぶつかる重い音と血の匂いのする、とうてい希薄とは言えないものだ。)をこの地で目撃した後、東京だけが何かから隔離され守られていると感じる。ぽっかりあいた東京の穴は、そこがさいたま新都心よりさらに希薄な場所であることを意味する気がする。
だとすればもうひとりの主人公隼人の身につける貞操帯の意味も明らかだ。希薄な場で自らの存在感を際だたせるためにそれはある。不快感が生命の拠り所となる。対する犬飼は、せっかく生命の兆候を目撃しながらすぐにまた希薄な街のリアリティーに戻って行く。そこが隼人の彼女がつとめる中華料理屋であることも象徴的だ。ふたりは同じひとつの場所で真逆なものを受け取っているから。
希薄さを少しでも追い払おうと自分から不快感を身につける隼人と、希薄さに気づきながら結局手も足も出ない犬飼。ふたりの辿る結末が正反対のベクトルを持つのもまるで不思議ではないように思われる。