指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

未知の「正しさ」を見に行く。

101年目の孤独――希望の場所を求めて
あまりにもたくさんのことが間違ってるように見えるとそれらを正そうという意志は持ちづらくなる。世界はどうしてこんなことになっているんだろうとため息をつくばかりで実際には指一本動かせない無力感にさいなまれる。でもそうした無力感にはやはり自己欺瞞が含まれている。どうせ何もできやしないと投げ出すことは、やってみなければわからないじゃないかというひと言で常にくつがえし得るからだ。筆者はあるきっかけからこのひどい世界の中で少しでも希望のありそうな場所を訪れることを始めたと言っていい。そして行く先々で、これまで想像もしなかった新しい形の「正しさ」を目撃した。今どき「正しさ」なんかを?でもそこにもし希望の暖かみを感じ取ることができるとすれば、その源になっているのは「正しさ」としか言いようのない何かのように思われる。もちろんそれらは見方を変えると少々胡散臭くも映る。「正しさ」とはもともとそういうものだから。でも筆者と筆者が訪ね歩いたいろいろな場所にいる人たちが抱く思いの切実さは、ひしひしと伝わって来るように思われた。ところでひとつ疑問がある。「長いあとがき」の中の筆者の言い方に従えば、「正しさ」とは「弱さ」に宿ることになるのだろうか。それはとても魅力的な問いのように思われるのだけど。