指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

ビリー・ジョエルがとても好きだった。

 あれは浪人一年目だったので1982年のことだと思うけどAMラジオの文化放送だったかで「ミスDJ」という番組を帯でやっていて夜勉強しながらよく聴いた。当時はビリー・ジョエルの「プレッシャー」という曲がかなりヒットしていてその番組でも毎晩のように聴くことができた。実は個人的にはその曲があまり好きではなかった。展開に無理があるような気がしたしサビも弱かった。その次にシングルカットされたのが多分「アレンタウン」という曲でこれもヒットした割には好きになれなかった。(ちなみに村上春樹さんの短編にこの二曲を収めた「ナイロン・カーテン」と思われるアルバムが出てくるけど評価はとても素っ気なかったと思う。)この人はもっといい曲を書くはずだとどうしても思ってしまった。この辺からビリー・ジョエル離れが始まったらしい。1986年に出たアルバム「ザ・ブリッジ」は持ってるけど控えめに言って完全な期待外れでこれが決定打となり以後聴かなくなったんだと思う。
 ビリー・ジョエルの曲を初めて聴いたのは当時のリスナーの大半と同じ「ストレンジャー」だった。すごくオリジナルなメロディーとそれから声と歌い方がとてもよかった。今調べるとシングルカットは1978年となっている。(同名のアルバムのリリースは1977年。ちなみにアメリカではこの曲はシングルカットされていない。)僕は中三だった。同年に出たアルバム「ニューヨーク52番街」は曲のラインナップを見ると全部知ってるのでおそらくどこかの時期にカセットテープで持ってたと思われる。1980年に出た「グラス・ハウス」、1981年のライヴ盤「ソングス・イン・ジ・アティック」は不明だけど上述の1982年「ナイロン・カーテン」はカセットで持っていて好きじゃないなと思いながら結構聴いた覚えがある。1983年に出たアルバム「イノセント・マン」はおそらく持ってなかったと思うけどシングルカットされたナンバーは全部よく知ってる。(でもどの曲もパワー不足に感じられる。)そして1985年のベストアルバム「ビリー・ザ・ベスト」は確実にカセットで持ってた。ただこれは曲が一部短くカットされたものがあり残念と言えば残念だった。次の「ザ・ブリッジ」はCDで持ってるけど顛末は前述の通りだ。
 その他おそらくレコードでしか発売されてなかったファーストアルバムが後年CD化されたのだろう、「コールド・スプリング・ハーバー」はCDで持ってる他セカンドアルバム「ピアノ・マン」(もしかしたらCDを持ってるかも知れない。)やフォースアルバム「ニューヨーク物語」それから同タイトルの曲を含んだアルバム「ストレンジャー」もラインナップを見ると随分聴き込んでいる。いずれも70年代のアルバムで、だからビリー・ジョエルの全盛期は70年代なんじゃないかと個人的には言って言えなくないかも知れない。
 以上のようなビリー・ジョエルをめぐるかなりこんがらがった現状を一度整理したくなったのは今回の80年代の洋楽を集めたオムニバスアルバムの中の一曲に「We Didn't Start the Fire」が入っていてそれを聴いたからだ。(余談だけどこの曲の邦題「ハートにファイア」は原題とまったく逆の意味のように思われるんだけど僕が間違ってるんだろうか。)1989年シングルカットというこの曲は往年のビリー・ジョエルらしいオリジナルなメロディーとパワフルな歌唱を備えた名曲のように思われた。80年代が終わる段階で僕がとても好きだったビリー・ジョエルがまだ密かに生き延びていたんだと思うと自分がどれほどその人の曲が好きだったかしみじみと実感されてきた。ちなみに80年代のオムニバスもかなり何枚も聴いたけど収録されていたビリー・ジョエルの曲はこの一曲のみ、あたかも80年代にはビリー・ジョエルなんてこの世にいなかったかのようだ。まあ実際には使用権の関係とかが大きいんだろうけど。
 という訳で今日図書館に借りられる上限までビリー・ジョエルのアルバムをリクエスト。届いたら少し腰を据えて聴き込みたいと思っている。(偶然だけど曲が変わって正にその「We Didn't Start the Fire」が流れ始めたときにこのエントリを書き終えた。)