指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「起承転結」の完成。

 松山千春さんのアルバム「起承転結」が近くの図書館にないのでベスト・アルバムを借りて収録曲を並べ替えてつくろうと思ったら一曲だけ「窓」が収録されてなかったことはすでに書いたと思う。なので「窓」が収録されているもうひとつ別のベスト・アルバムを借りてプレイリスト上で「起承転結」を完成させた。それで飯島真理さんの「Rose」をちょっとお休みして繰り返し聴いている。1979年の暮れ近くにリリースされたので僕は高一だった。レコードを買ったのはさすがにこれはお買い得だと思ったからだと思う。それまでの松山さんのシングルが全部収められているし大ブレイクのきっかけとなった「季節の中で」も入っている(若干聴き飽きてはいるけど。)。今聴くと古くさいかなとも思ったけど意外と全然そんなことはない。懐かしさの要素はそれほどなくてただ本当に独自の世界が展開されるのに目を奪われると言うかこういう世界はこういう世界で居心地がいいよなとしみじみ思っている。あの頃好きだったさだまさしさんとかオフコースとか聴くときと同じような思いだと思う。確かに耳なじみしてるんだけどそれだけじゃなくそれぞれの世界観に改めて感服してるとでも言えばいいか。そういう意味では個人的には少しも古びていない。
 あの頃は自分のいろいろなものを否定したかったよなと思う。今自分が好きなものは時間が経てばみなその価値を失って行くだろうとかもともと無価値なものばかり好きになってるだけなのかも知れないとかそういうことを常に考えていた気がする。そしていつか本当のもの本当に価値のあるものに辿り着きたいと思っていた。その延長でいろいろ小難しい本なんかも随分読んだけど結局この年になっても本当のものになんてひとつも辿り着いていない。本当のものがもしあったとしてもその価値が自分に理解できなければそれはないのと同じだ。そう考えると自分がかつてなりたかった自分には結局なれなかったということになると思う。そのことが夢に破れたということの根拠になっている。それを認めるのは随分勇気のいることだったけど今は静かに受け入れている。だから自分がかつて好きだったもの今好きなものがたとえ無価値だったとしてもそれはそれで仕方ない。ただ好きなものは好きだという思いがあるだけだ。開き直りと言えばまあある意味そうかも知れない。
 関係あるかどうかわからないけど家人に一度言われて忘れられないのはあなたは自分のことをとてもかわいそうだと思ってるのねという一言だ。確かにそうなのかも知れない。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ、と「ノルウェイの森」の永沢さんも言ってる。永沢さんへの反論の仕方はふたつある。ひとつはあなたが間違ってるので自分は下劣な人間ではないという反論。もうひとつはあなたは正しいので自分は下劣な人間だがだからどうしたという反論だ。どちらが正しいのか自分ではよくわからない。