指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

結構ちょこちょこ直す。

 ブログは読み直して結構ちょこちょこ直す。昨日のエントリもいったんアップしてから十回くらいは直している。目的はよくわからない。より読みやすくとかより正確にとか言うと少し近づいた気もするけど本当は違う。ここ気に入らないから直しとこうというのがいちばん近い。とても感覚的で完全な自己満足だ。
 それで思い出したんだけど前々から気になってる表現がある。それはたとえばどこかへ行ったとき適切な時間より早く着いた場合に「早く来すぎた。」と言うことがあると思う。でも「来すぎた」ってどういう意味なんだ?あえて「来すぎる」の意味を考えるとある適切なポイントがあってそこまで達せられればそれでよかったのにそれよりはるか先にまで進んでしまったということなんじゃないかと思う。すると「来すぎた」を時間が早すぎたという意味で使うのは間違ってるような気がする。正確には「来るのが早過ぎた。」と言うべきなんじゃないだろうか。いずれにせよまあ細かい話なんだけどそんな感じで書き直してるということが言いたかった訳だ。何かが引っかかる。もっといい言い方を考える。書き直す。気に入ればおしまい。
 昨日のコンテンツの件なんだけどいいアイディアを思いついた。軽くコペルニクス的転回だ。前の会社にいたとき考えて結局ボツになった企画をサイトにしようというものだ。これは結構有意義な気がするし前の会社に義理立てする必要もない。と言うかもう誰に対しても義理立てなんかする必要がないのかも知れない。手間はかかるかも知れないけどやってみる価値はありそうだ。どうしてもっと早く思いつかなかったんだろう。九年前につくり始めることだってできたのに。いやそりゃさすがに無理か。まだ失業給付さえもらってなかったんだから。
 早稲田大学国際文学館から来た予約受付完了メールを他の不快なメールと一緒に削除してしまったことに気づいたのは昨夜寝る前のことだった。酔っ払った勢いでやったのが失敗だった。それで同施設にもう一度同じものを送ってもらえるか問い合わせたらすぐに送り直してくれた。とても親切だ。最後に大学に行ったのも九年前の11月頃結局なんの役にも立たなかった大学関連の再就職斡旋会社に何度か通ったときだ。あの会社はほんとに不親切で役立たずだった。この時期になると失業し立ての頃のことを思い出す。当時の自分に曲がりなりにも九年間は食いつないでいて子供は大学に受かったと教えてやりたい。どんなにかほっとすることだろう。
 秋の始まりなのに今年はオフコースを聴くのを忘れてる。聴かなきゃ。