指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

最近よく読むブログについて。

 ある人気ブログをほぼ毎日読んでいる。特定されそうなのでどういう内容のものかは触れずに済ませたい。これからケチをつけようとしてる訳だから。いやならケチなんかつけずに読むのをやめればいいというのが基本的な考え方だし今回はそれに抵触しそうなのでせめてどのブログのことを指してるかは悟られないようにしようというまあ最低限の筋の通し方だ。実はこのブログ読んでていろいろ納得の行かないことがある。アフィリエイトには目をつぶる。個人的には賛成できないけど利益追求はその人の自由だから。誤字脱字についても同様だ。忙しい中結構な量の文章がほぼ毎日アップされてるしそりゃ隅々までは目配りが利かないかも知れない。ただ最近これは許せないなと思ったのはブログに文章を書くことを執筆と呼んでたことだ。お前は文章のプロなのかちょっと思い上がってないかと思う。家人ははばかりながら一応プロの小説家だけど自分の作品を書くことを執筆だなんて言ったことは一度たりともない。単に仕事と呼ぶだけだ。もちろん世界の隅の隅のそのまたはじっこにあるブログを書いてる僕だってこれを執筆だなんて毛の先ほども思ってない。執筆というのはもっときちんとした文章を書くもっときちんとした営為であって欲しいから。
 そういう風にケチをつけたくなるのは無意識にこの人が自分のことを英語で言うsomethingと見なしてることがこのブログのはしばしから感じ取れるからだ。something、今手元の古い英和辞典を引くと「ひとかどの人物」とある。そう大体そんな感じ。やや行き過ぎかも知れないけど方向としては間違ってない。その思い上がりがときどきすごく鼻につく訳だ。人気ったってたかだか素人のブログに過ぎないしそんなに高級な文章を書いてる訳でもそんなに豊かな知性や情緒を秘めてる訳でもない。なんか他人の勘違いにはやけに敏感なくせに自分の勘違いには気づけないきめの粗い感受性の持ち主が書くぎすぎすした文章なだけだ。ただ逆に言うとそういう人でなければ書けない文章でもあってそのこと自体ひとつの存在意義なのかも知れない。でここまで書いてきて初めて気づいたんだけど僕がこのブログを読むのをやめられないのもその負の存在意義のせいじゃないかなという気がしないでもない。なんかこう中毒性があってやめられないんだよね。他人の持つ割と強めの自意識あるいは自己顕示欲あるいは自己正当化を目の当たりにするとそのゆがみみたいなものから目を背けられなくなる場合というのがある気がする。簡単に言えばいやな思いをするためにわざわざ読み続けてることになる。苦痛は快楽だというところがちょっと「地下室の手記」っぽいかも知れない。だからまた明日も読んじゃうんだろうなと思う。
 自己正当化と自分で書いてみて思いついたことがある。それはざっくり自己正当化がテーマのブログが割にたくさんあるなということだ。まだ若いのに自ら無職になっての自己正当化、何かトラブルに巻き込まれての自己正当化、アーリーリタイアしての自己正当化、育児の中での自己正当化。これだけたくさんあると自分も自己正当化のためにブログを書き続けてるのかと疑われる。そうかも知れないしそうでないかも知れない。これは考えても本当によくわからなくてちょっと恐い。