指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

村上春樹ライブラリー八回目。

 今日は胸をつかれた思いのする一節を見つけたのでその引用から。

(前略)彼らは、経済的にますます繁栄し、更に自己充足を進めていく社会システムから一歩離れたところに居場所を定め、孤立し(あるいはドロップアウトし)、べつの観念を静かに追求する人々だった。彼らは決して社会的な強者ではない。しかし彼らには優しい諦観と、内的な価値のぬくもりと、そしてある種のタフさがあった。彼らは大げさな言葉や、輝かしい目標や、安易な連帯を信じない。制度の永続性や、社会的達成を信じない。功利的な知性を信じない。彼らがもっとも大事に考えるのは、言葉や数字ではあらわすことのできない、自らの生き方の静かな総合性であり一貫性だ。(後略)
村上春樹全作品1990~2000 4」 解題より。

 「彼ら」というのは作者の作品のいくつかに登場する主人公ということで大体間違いないと思う。驚いたのは表現が多少かっこよすぎるとは言えこれって全部自分のことじゃんと思われたことだ。社会のメインストリームからはかけ離れたところにいてどんな意味でも文字通りドロップアウトしている。そしてメインストリームにいる人たちとは明らかに異なった何かを追い求めるともなく追い求めている。もちろん社会的な強者などとはとても呼べないし自分のできることには限界があるとわかっている意味では静かな諦めがある。あまり普遍性があるとは言えない何かを大切にしてるという意味では内的な価値に支えられているし課せられたものを放り出さないだけの誠実さを保っているという意味ではある種タフでもある。誰かの大げさな言葉も国家とか会社とかの掲げる目標もどんな形での連帯も信じていない。(ただし家族を連帯と呼ぶのならそれは信じている。)制度の永続性とか社会的達成なんてそもそも自分とは関係ないし知性には胡散臭い面が常につきまとうと思っている。そして誰に向かって弁明する訳でもないけど自分なりの筋の通し方を大切にしていてそこはできる限り妥協しないように努めている。僭越に聞こえるのを覚悟の上で言えば「彼ら」と自分とはまるで同じような気がする。もちろん今は「経済的にますます繁栄し、更に自己充足を進めていく社会システム」から日本は明らかに脱落してしまったように見える。そういう点ではこの文章が書かれた頃と比べて状況はかなり変わってしまったと言えるかも知れない。でもそれとは無関係に「彼ら」の生き方にはある種のまばゆさがある。そして「彼ら」と自分にこれだけの共通項があるなら個人的にはとても救われるように思われる。お前は間違ってないと言われたような思いがするからだ。言い方は違えど今までそういう意味のことを言ってくれたのは家人だけだ。
 四巻目の解題もとてもおもしろくてここまで読むまでにも引用したいなあと強く感じたところがあった。たとえば下記のような。

(前略)僕の小説では多くの場合、「なくなった何かを探し求める」というのは、ひとつの重要なモチーフになっている。(後略)
前掲書より。

 四巻目は「ねじまき鳥クロニクル」の第一部と第二部が収録されているのでそれに触れた一節だ。同じように何かを探し求める「羊をめぐる冒険」や「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」ではでも主人公は受動的にあるいは消極的に何かに巻き込まれる形でその探索を行う。それに比べると「ねじまき鳥クロニクル」の岡田亨は妻を探すことにすごく積極的だという違いが述べられている。本当はもっと長い形で引用するととても興味深くお読みいただけると思う。でも今回は時間の都合でそれができなかった。
 それから「ねじまき鳥・・・」の第三部が収録された五巻目の解題を通読して時間が来てしまった。これもおもしろいんだけどメモする時間がなかった。次回もう一度目を通した方がいいかどうかちょっと悩むところ。
 金曜日には最初に話しかけてくれたスタッフさんともうひとり顔見知りになったスタッフさんとがいる。入り口から左に曲がったところにかかっていた半透明の白いカーテンがなくなっていたので最初に話したスタッフさんと挨拶したときにその旨告げると何かの警報装置を誤作動させるのでもっと短いものに替えるためにいったん取り外されたということだった。世界一軽いなんとかオーガンジー(オーガンジーだけは「赤毛のアン」で知ってたので聞き取れた。)でできていて村上さんの世界への入り口として設計者の隈研吾さんのこだわりのカーテンという説明も受けた。なるほど。ここから先はファンタジックな世界という訳なんだね。
 それから前回の「全作品1990~2000」の二巻目から今回の四巻目に飛んでいるのは三巻目がライブラリーになかったから。「全作品1979~1989」の二巻目もない。どうしてないのかスタッフさんに尋ねてみたいけどこちらが恐縮するほどものすごく謝られそうな気がして言い出せないでいる。まあないならないで他で何とかできない訳でもないし。館を出るときにもうひとりの顔見知りのスタッフさんに挨拶した。相変わらずキャンパスの秋はすばらしい。今日の入館カードのナンバーは12。