指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ライブへ行く。

 今夜夜行バスで子供が大阪へ向かう。明日と明後日行われるライブの両方に行くのが主な目的だ。詳しいスケジュールやどこへ泊まるかなどは知らない。家人は知ってるかも知れないので気になったら尋ねてみよう。とにかく月曜日の朝に戻って来るということだ。前にも書いたようにうちの子はどこにでもひとりで行っちゃうようなところがあって親としては心配でもある。でもそれとは別に若いときには若いときにしかできないことをたくさんやったらいいと基本的には考えているのでどんどん好きなところへ行ったらいいとも思っている。コロナ禍で随分長い間遠くへ行けなかったので久しぶりに羽を伸ばすといい。
 子供がそんな風に育ったのは無意識が負った傷が少ないからだと考えている。僕の場合は生まれてすぐにちょっとしたことがあって無意識に割と大きな傷を負った形跡がある。父親は子煩悩だったし母親はすごく厳しかったけど愛情にあふれた人だったので当然無意識が負う傷は小さく浅くていいはずなのに実際はそうではない。だからその傷がついたのは両親のせいではないと考えるしかない。すると両親から後になって聞かされたその「ちょっとしたこと」が生まれたばかりの自分にとって割と決定的につらい体験だったという結論にどうしてもなってしまう。僕の心の中にある消すことのできないある種の暗さはその傷の影響だとしか考えられない。その傷に気づいてからは子供ができたら絶対にその種の傷を心に負わせない育て方をしようと決心した。その傷は目に映る世界の姿を歪ませてしまう。実際よりも多くの恐怖に満ちた暗く不安な世界像に変えてしまう。その不安をいちいち乗り越えないことにはどこへ行くことも何をすることもできない。それが僕の置かれた世界だ。でも無意識の傷が小さく浅ければ世界はもっとずっと明るく快適な場所に見えることだろう。いつでも安心してどこにだって行けるしなんだってできる。自分を脅かすものなんて何もない。ひとりで自由にずんずん進んで行ける。それがうちの子の置かれた世界なんじゃないだろうか。そうであって欲しいしそうなるように慎重に育てて来たつもりだ。だから自分の子が今ある状態になってくれて本当によかったと思う。自分たちの育て方は間違いじゃなかったと思う。
 チケット代も交通費も宿泊費もバイトで稼いだお金でまかなうようでもしかしたら陰で家人がいくらか渡してるのかも知れないけど僕は一銭も払ってない。払いたくても払うお金がない。子供の育て方は間違ってなかったかも知れないけど生計の立て方は完全に誤った。来年還暦なのにまだバイトしてるなんてまるで予想してなかったし。でもまあ今更何を言ったところで始まらない。