指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

綿の国星。もしくは開かれるタイムカプセル。

 うちの居間には天井までの本棚が三本ある。その他に普通の本棚に小さめの本棚を載せたのがあってそれらが壁の一面をほぼ覆い尽くしている。その他に文庫専用の本棚を金具で無理矢理縦に二本つなげたのがあってさらに磨りガラスのはまったドアを持つ真っ白でちょっとおしゃれな足つきの棚がある。最後のものにはゲームソフトとかCDとか今やどうやって聴けばいいのかわからないミニディスクとかが入ってる。文庫専用の本棚には文字通り文庫本が収めてある。古いものは僕が中学生の頃買った北杜夫さんとかヘミングウェイとかの作品だ。若い頃読んだちくま文庫版の太宰治全集なんかもある。入り切らない本は机(僕が学生の頃買った机。後述の子供の勉強机とは異なる。)の上の壊れてしまったデスクトップパソコンの上とか床とかに無造作に積み上げてあり大きな地震があっても崩れなかったけどたまに足が引っかかったりすると崩れることもある。たぶん全部で百冊以上ある絵本と床に積み上がってた本のうち本棚一本分は塾に移した。読書量が減ったので一時期みたいなスピードで蔵書が増えることはないけどそれでも捨てたり売ったりはしないので減らない。でも本題はそのことではなかった。
 本棚でほぼ覆い尽くされてる壁にはしかし二十センチくらいの隙間があってそこにも本を置こうと細長い本棚を買ってきたのはあれはどれくらい前のことだろうか。二十年は経ってないけど十年以上は前だ。ところが幅を間違えて買って来てしまって他の本棚と同じようにこちら向きに置くことができなかった。横向きなら置くことができる。つまりその本棚に本を入れても開口部は隣の本棚を向いてるので本の出し入れはできない。本棚ごと引っ張り出すしかない。ところがその本棚の隣には子供の勉強机が置いてあるので―これで我が家がいかに狭いかがおわかりいただけると思う。―まず勉強机を移動しないことにはその本棚を引っ張り出すことができない。でも勉強机というのはそもそもその上にいろんなものが置いてあるのが普通でおいそれと動かせるものでもない。という訳でよくよく考えた結果捨てたくはないけどしばらくは読み返さなくてもいいコミック類をそこに入れてしまっておくことにした。つまり期せずしてその棚はタイムカプセルの役目を担ったことになる。塾を始めた十年ちょっと前子供は塾に自分の机といすを置いて勉強するようになったので居間の勉強机は事実上不要になっていた。でもかたづけるのも面倒なのでそのまま置いてあった。昨日思いついて机をちょっとだけずらしてタイムカプセル棚をほんの少し引っ張り出してみた。すると何冊かのコミックを取り出すことができた。とりあえず昨日取り出したのは大島弓子さんの「綿の国星」を何巻かと猫十字社さんの「小さなお茶会」を一冊だった。何もかもみな懐かしい。と沖田艦長のセリフをつぶやいてからおもむろに「綿の国星」の一巻目―とは言え第一巻とは印刷されてないのでこれだけ見る限りではこの作品がシリーズ化されたかどうかわかんないんだけど―を開いた。最初の作品「夏のおわりのト短調」を読み始めたらマジでページをめくる手が止まらなくなった。おもしろいと言うよりひたすら切実に痛い。これ二十代から三十代にかけて何度読み返したかわからないほど繰り返し読み返したのに今もまだ朝採れの高原レタスみたいにみずみずしい。発表されてからも何十年って経ってるはずなのに何ひとつ古びてなくてすべてが新鮮なままだ。そこまで突き詰めに突き詰めた末の普遍性が込められていてそれが時を超えて今このときにまで無傷で届いてるんだろうな。個人的には猫の多頭飼いを始められた後の大島さんの作品はちょっと行き過ぎなんじゃないかと思って敬遠してる部分がある。でもこのあたりの作品は本当にすごい。しばらくはすごいすごいと感心しながらタイムカプセルの中身を楽しむ日々になると思う。