指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

以前読んでた作家の作品で未読のものを読んでいる。

 以前読んでた作家の作品で未読のものを読んでいる。たとえば平野啓一郎さんの作品。芥川賞を獲られた「日蝕」(字が少し違う気がするけど気のせいかな。)は確か単行本の出た日に買って読んだ。次の「一月物語」も同様だ。「葬送」も「決壊」も読んでるのでファンと言っていいと思う。でも最近の作品は読んでなかった。それがこの前「マチネの終わりに」を読んだのをきっかけにまた読もうかと思い始めた。吉田修一さんもほぼ同じような成り行きだ。芥川賞を獲られた「パーク・ライフ」も単行本が出た日に買った。(芥川賞の受賞作は一時期単行本になるや買って読んでたんだと思う。綿矢りささんとか金原ひとみさんとか川上未映子さんとか諏訪哲史さんとか。)それからたぶん十作以上は読んでいる。芥川賞作家にしては(と言っていいんだと思うけど。)エンターテインメント性が高くどれを読んでもシンプルにおもしろい。でもやはり最近のものは読んでない。お二方とも多作な作家である上自分の読書量が落ちていることが原因だ。でも読めばおもしろいんだから読んだ方がいい。という訳でお二方の作品はとりあえず持ってるものから読んで行こうと思う。
 それで今日取り上げる作品は吉田修一さんのそう新しくない短編集。ずっと前にブックオフで買ってあった。何か読もうかなと思って本棚を眺めていて特に理由もなく白羽の矢を立てた一冊。ふたつくらいの作品では途中で話者が入れ替わったり一人称の語り手が「現実」を語ってる最中に私小説みたいに「現実」をありのままに語り手が書いた小説の一部が挟み込まれたりといったちょっと実験的な手法が採用されている。確か村上春樹さんが短編小説ではある程度実験的なことをするみたいなことを何度か書かれてたと思うけどこの作者にとっても短編というのはそういう媒体なのかも知れない。またある作品ではそのリアリティーの中にすっぽり飲み込まれてしまってページから目を上げたとき自分がどこにいるのか一瞬見失った。作品内のリアリティーが今自分が置かれた「現実」よりリアルに感じられた訳でそういうのも久しぶりだった。とにかくおもしろい。そして考えさせる。そういうところはとてもこの作者のらしさが感じ取れた。