指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「からかい上手の高木さん」が終わってしまった。

 泣くかも知れないから塾では読まないようにしてた。それとたぶんほんとに終わってしまうのが嫌だというのもあった。だから高木さんの最終巻を手にしながらなかなか表紙を開くことができなかった。今日は夜しかバイトがないんだけど七時にアラームをかけて泳ぎに行くつもりでいた。ただ目覚めた後もしばらく起き出せずにいた。もちろん仕事なら無理してでも起きる。でも自分の用だとまあいいかやめといてもみたいな感じで簡単には思い切れない。結局二十分くらいごろごろしてた後でやっぱり泳ぎに行こうと思ってベッドを抜け出した。朝食は抜きで顔を洗って歯を磨いて着替えて出かける。冷たい雨が降っている。シャワーを浴びて軽く準備運動をしてプールに入ったのはいつもより五分ほど遅れてだった。やはり朝食を食べてないと調子がいい。三十分ちょっとで八百。今日はバイトじゃないのでいつもより遅くまで泳いでいられる。という訳でもう十五分泳いで合計千二百メートルになった。三十分では無理だけど四十分あれば千メートル泳げるところまで来た。いつもよりすごく疲れたかと言うと特にそういうこともない。毎日三十分は泳ごうと思ってるんだけどちょっと時間が短いのかも知れない。体にもう少し負荷をかけても大丈夫な気がする。シャワーを浴びて体を拭いて服を着てからバイト仲間に挨拶し職員専用の出入り口から外へ出る。帰るともう一度丁寧にシャワーを浴びて朝食。眠い。そしてなかなか時間が過ぎて行かない。という状態で開くことに決めた高木さんの最終巻だった。
 まあ思うところはいろいろある。でもとりあえずはっきりしてるのはこれは高木さんの物語ではなく西片の物語だということだ。西片に比べて圧倒的に大人だった高木さんに西片が追いつく物語だ。それは高木さんの愛にふさわしい自分にやっとのことで西片がなる物語だ。もちろん物語を語る側からすればそういう事態になるのはもっとずっと前でもよかったしもっとずっと後でもよかった。そういう意味で言えばこのタイミングというのは物語の必然と言うより語る側の恣意によると言っていい。読む側からすればそれが若干の不満と言えば言えると思う。簡単に言えばこのラストだったら別に今じゃなくてもよかったじゃんという話になるから。だからこの最終巻は物語を終わらせようと決めた作者が物語を終わらせるために辿った道筋が記録されていることになる。西片の長足の成長は高木さんの次の台詞に象徴されている。「西片の考えてることだいたいわかってるつもりだったけど、最近は驚かされてばかりだから、変わっていってるんだねぇ。」でもこれはおそらく誰でもそうだと想像するんだけど自分の愛する相手が「変わっていってる」のが自分に対する愛が育まれてるからだと想定するのはとても恐ろしいことだという気がする。もしもその想定が誤っていたらそのとき受けるダメージは計り知れないものになるから。高木さんの中にそういう想定がまったくなかったとは言えないかも知れないけどさすがの高木さんもそれに全面的に賭ける勇気はなかった。もちろんそんな勇気を持つことなんて誰にもできない。だから高木さんにあるのは西片が変わったという実感だけだ。その西片の変わりようはどうかと言えば高木さんへの愛にだんだんと気づいて行くというものだ。ただ恣意的と言えばそれがいちばん恣意的な訳だ。西片はもっとずっと前にそれに気づいていてもよかったしもっとずっと後にそれに気づいてもよかった。なぜ今なのかという根拠は作者がそういう気になったからということ以外考えられない。個人的には繰り返しになるけどそこにかすかな不満を覚える。たとえば劇場版の高木さんでは高木さんがひどく悲しんでるのを目の当たりにしてその悲しみを和らげてあげたいというところから高木さんを守りたいという気持ちを経て西片は自分が高木さんを好きなんだということに気づく。個人的には説得力があると感じたんだけどそういう必然的な契機が今回のエンディングまでの一連の過程にはない。それがいわゆる「とってつけたような」という印象を呼び起こす。
 でももちろん泣く。初めて読んだときに泣き昼寝の前に読み返したときに泣き昼寝から起きて読み返して泣いた。次に読むときにもきっと泣くだろう。ひとつだけ切実な希望がある。それはこのエンディングをアニメで観たいということだ。劇場版とも異なりテレビシリーズでは描かれなかったこのエンディングを動く絵と声優さんの台詞で観たい。実写版なんかいらない。お願いだからなんとかして下さい。