指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

病者の光学。

 病んでいたり弱っていたりする人特有の視線が常人には気づけないことに気づかせてくれることを称してニーチェが「病者の光学」と言ったと記憶してる。(この前ソシュールの「コノテーション」という概念を完全に履き違えてたことに後から気づいたのでこの手の話題には慎重にならざるを得ないけど。)その伝で言えば穂村弘さんというのは「病者」に当たるんじゃないかと思う。自らを「世界音痴」と位置づけるのもこの病者の自覚ゆえのことのように思われる。だからこの人はかなり変わった人ということになる。でもその感じ方や眺め方は時としてものすごい共感を呼ぶ瞬間をつくり出す。それはまばゆい光のように一瞬目を覚まされるような鮮やかさでこちらを震撼させそして過ぎ去って行く。後には今のはなんだったんだという不思議なクエスチョンマークが残る。でもそれはこの作者の言うことに自分は今完全に共感したという確かな手応えを伴ってもいる。その人の言うことのたとえば九割が理解しがたいものであったとしても残りの一割がこれは他ならない自分のことを言ってるんじゃないかという共感を呼び起こすことができるならその言い分に耳を貸す価値は充分あるんじゃないかということになるだろう。僕にとってこの「世界音痴」とはそんな一冊だった。相変わらず短歌はよくわかんないけど。
 朝イチからの春期講習が泳ぐ時間を奪う日。午前中の授業が終わると最寄りのスーパーに出かけ先に出て遠回りして安いお弁当を買いに行った家人と合流する。夕食のためのものやアテなどを買って帰る。子供のバイトが午後すぐに始まるので正午を待たずに昼食。家人と僕は飲んで食べて昼寝。昨夜夜中にお手洗いに起きたら居間の灯りがまだ点いてたのできっと家人は夜遅くまで原稿を書いているんだろう。そのせいかいつもより長く昼寝している。僕はアップルウオッチが振動してかすかなアラームが鳴ったのに気づいて飛び起きる。見ると電話の着信だったのでそばに置いてあったスマホを手に取る。この同期機能のおかげで最近スマホへの着信を見逃すことがなくなった。便利と言えばとても便利。アイコンをスワイプするとこの前体験授業に来た新小四の女の子のお母さんからで授業の雰囲気を知りたいからもう一度体験に行きたい。ついては日時を打ち合わせたいと言うので打ち合わせて四日木曜日の午後に決まる。この前の体験が一対一だったので他の生徒さんに混ざってもう一度授業を受けたいとの趣旨。そういう人も珍しいけどまあそう言うんなら嫌とも言えない。それで目が覚めて何げなくスマホを眺めると雨が降り始めるとの警告が見つかる。家人がまだ眠ってるみたいなので起こしたくなくてなるべくそーっと窓を開けると雀の涙より細かい雀のくしゃみ程度の雨が降ってるのに気づく。それでも長時間浴びてたら結構な水分量かも知れないと思って取り込むことにする。取り込んでから居間に行くと物音で家人を起こしてしまっていた。なんか電話で話してた?と言うので事情を話すと入ってくれるといいねえとこの十一年間で何度聞いたかわからない言葉を口にする。でも家族の立場じゃそう言うのが精いっぱいなんだなと思う。僕だって家人の新刊が出る度売れるといいねえとしか言いようがないもんね。それから塾で授業。おとついご成約になった生徒さんが初めてやって来て問題を解いてもらったらすごい出来がよくて安心する。国語も算数も心配ないじゃん。塾でお友だちができるといいですというお母さんのお話で確かにちょっと内向的な子に前回は見えてた。でも今日は僕に対しても目と目を合わせてお話ししてくれるし初めて会った同学年の男子ともすぐに打ち解けて楽しそうに話し始めた。この調子で行ってくれるといいなと思う。
 塾が終わった後泳ぎに行くことも視野に入れてたけどバイトが休みの日は施設に一歩も足を踏み入れないそのことこそがストレスを軽減するかなとも思って断念。今週は三月と違って夜も塾で埋まってるので土曜までバイトに行かない。と思うとすごく気が楽になるのはやっぱ結構我慢してバイトに入ってたんだな。だから今日のスイムはお休み。明日は朝から泳ぎに行く。つもり。