指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

今日までで十連勤。

 バイトは今日までで十連勤。あと三日行けば金曜日は休める。しかもその三日間はいちばん短い勤務時間で希望を出してるので家人と買い物にも行ける。と思ったら明日は一日雨みたいだ。子供も大学へ行くしお昼は家人とふたりだけなので近くのコンビニとかで済ませちゃうかも知れない。
 今日のスイムは26分26秒で千メートル。二日続けてラストまでバイトで睡眠時間も短かったし疲れてたしで割とちゃんと泳いだつもりでもこんなもん。・・・なんかこのタイムって銀河鉄道999のある星への停車時間ぽくないですか?ってわかんないって誰も。
 授業の途中でドアをノックする人がいたので開けると見覚えのあるおじさんが立っていた。この前ふたりの子供だか孫だかを連れてプールに来た中国人のお客さん。日本語がまったくわからなくて受付ではスマホの翻訳機能を使ってかなりのすったもんだを演じた挙げ句チケットを買って子供ふたりを着替えさせてプールに入れたのはいいとして彼らを見守りたいということで着衣のままおじさんもプールサイドに姿を現した。プールで着衣は基本NGなのでどうするか社員に問い合わせるとそういう事情なら見てても構わないと言うのでプールサイドのベンチに座っててもらうことにした。のはいいんだけどこの人が水泳の指導をするのかなんなのか立ち上がってふらふら子供たちが泳いでる方へ歩き出す。それはさすがにまずいのでベンチに座ってるようにまったく通じない日本語と身振り手振りで誘導すると特に逆らうでもなく素直に従う。ここに座ってていいのかと英語で言ったような気がしたのでユー・スピーク・イングリッシュ?と尋ねるとわからないみたいでまたぞろスマホを取り出す。埒があかないので笑って両手で押しとどめる。その後はおとなしく座ってたみたいだ。僕は途中までで勤務時間が終わったので帰って来ちゃったけど。それで一昨日だったか昨日だったか夕方シフトに入ると満面の笑みで会釈してくれるおじさんがいる。なのでこちらもあわててつくり笑いで挨拶する。誰だか覚えてない人にすごく親しそうにされるというのはこの仕事では(そして想像するに他の多くの客商売でも)割にありがちなことかと思う。そのふたりのおじさんが同一人物だと頭の中でつながったのが今日塾のドアを開けたときだ。おじさんは一瞬驚いた表情をした後すぐに持ち前の笑顔で軽く手を挙げてくれた。僕と思い当たったからだろう。僕も笑顔で迎えるしかなかった。ただ要するにその子供だか孫だかをうちに通わせたいという希望だけは通じたものの細部がまったくわからない。僕は各種デバイスの翻訳機能というのは語学の習得の手間を大幅に削減してくれるものと割に単純に信じてきた。でも考えを変えた。そのおじさんが手にするスマホが古いとかそういう可能性は否定できないにしろ通常の会話を成り立たせるのに役立つとは到底思えない低レベルに留まってる。なにしろ翻訳された日本語が日本語になってないという体たらくだ。あれでよくも異国の文化の中で異言語スピーカーとコミュニケートして行こうと思えるもんだなと逆におじさんの楽観に感心する。行く先々で常にトラブらないと暮らして行けないように思うんだけど。僕はああいうストライクゾーンをいっぱいいっぱいに使った生き方はできない。ボールと判定される可能性がある球は極力投げない。それは自分のストレスであるばかりでなく相手にも迷惑をかけることだからだ。でももちろんそれが正しい生き方だと主張するつもりもさらさらない。世界をどんな風に使うべきかという問題に関しては我々のひとりひとりがそれぞれの答えを見つけるしかない。
 中二日で今日は三冠。「ギケイキ3」の残りがわずかになってとても残念だ。