指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

Tシャツを褒められる。

 子供は札幌でのライブだかなんだかが終わって今夜は小樽に行ったらしい。運河の夜景が送られて来たので見たらなかなかきれいだ。もう二晩くらい北海道に滞在する予定だったと思う。楽しんで来るといい。
 「酒中に真あり?」というカテゴリは一杯飲みながらあるいはすでにできあがってから書くときに使っている。ここのところこのカテゴリが多いのは一日の終わり以外にブログを書く時間がないからだ。素面の時間があれば今は書くことじゃなく読むことに使っている。酔っ払っても書けるけど酔っ払ったら読めない。読めるけど次の日覚えてないから読んでないのと同じことになってしまう。だから酔っ払ったらもう読まない。書くだけだ。もちろん書くことも読むことなんだけど自分の書いたものを読むことと他人が書いたものを読むことでは全然意味が違う。自分の書いたものをリスペクトすることはない。でも他人の書いたものは特にそれが書籍の形をとってる場合はリスペクトから始まるような気がする。え。そういうのって割に権威主義なのかな。よくわからないんでいったん棚上げ。
 泳いだ後ふちねこ目当てにいつものカフェ・ベローチェへ。ヴェローチェかと思ってたらベローチェらしいので今日から表記を改める。レシート二枚ゲット。もう一度ふたりで行けば二個目のふちねこが手に入る。その後ジュンク堂で「百年の孤独」の文庫を初めて手にする。解説は筒井康隆さんだった。筒井さんと「百年の孤独」という取り合わせもすごくおもしろそうで買うかどうかかなり迷った。でも筒井さんの作品って読んだことないんだよね。だからとりあえず買うのは見合わせ。その後三省堂にも東武百貨店の旭屋にも行ったけどジュンク堂がこの本に関してはいちばん気合いが入ってた。個人的には昔の池袋リブロとか吉祥寺パルコブックセンターとか海外文学の品揃えですごく信頼してた書店もある。でもジュンク堂ってとにかく物量なんだよね。それで用もないのに時々書店員の過度な思い入れが出て来る。今回の文庫版「百年の孤独」みたいに。悪いけど空回り感があってあまり好きな本屋じゃないな。単行本の出版からこれだけ時間の経ってる作品だ。読みたい人はみんな読んでるし読まない人は文庫が出ようが読まない。想定できる購買層は読んだことあるけど改めて読み直したいという割に年配の人か読みたいけど単行本は高いから買えないという割に若い人かのどちらかくらいしか考えられない。でも文庫が安いという時代はたぶん終わってしまった。僕が持ってる新潮文庫の「老人と海」とか「坊っちゃん」とか背表紙の一番下に「140」と書いてあるのでおそらく百四十円だったんだろう。当時は消費税なんてものもなかった。もちろんこれらの本のもっと安いバージョンをお持ちの方もいらっしゃると思う。要するに文庫というのは本来安いものだった訳だ。じゃなきゃお金のない若い人が買える訳ないじゃん。僕は「ガルシア=マルケス全小説」収録の「百年の孤独」の単行本をブックオフで105円で見つけて買った。図書館で借りることだってできる。千数百円するその本を今さら買う必要があるんだろうか。
 タイトルの記事までたどり着けなかった。後日また。自分の着てるTシャツ褒められたらうれしいよね。今日のスイムは24分53秒で千メートル。まあまあ。ということで。