指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

よしもとばななさんの日記。

よしもとばななさんの作品は「キッチン」以来大体読んでいる。ただ公式サイトに掲載された日記と膨大なQ & Aを単行本にしたものは、たぶん2冊出ていると思うんだけど1冊目の方しか読んでいない。これを再編集したか分冊にしたか、新潮文庫から何冊か文庫も出ていると思う。もしかしたら何巻目から後は単行本と内容がかぶらず、文庫版オリジナルで出ているのかも知れない。どちらにしても読んでいないので未確認だ。読んでいない理由は、途中から公式サイトの日記の方を読むようになったからだ。ほぼ毎日行っては最新の日記を読んでいる。(ただその読み方だとやっぱりどこかにブランクができているみたいで、活字とサイト合わせてすべての日記に目が通せているという気はしない。)

以下は記憶に頼っているので間違いがあるかも知れないが、生きるのが本当につらいとか、何かに対して怒っていたりとか、小説やエッセイで窺い知れる以上の生身の発言があって、意外に思ったり共感したりしている。意外に思うのは、あんなにきれいなお話が書ける人なのに僕なんかとまるで同じ次元と思える悩みとか怒りとかを抱えているところ。共感するのは生きるのが本当につらそうに見えたり、最近ではチビラ君の話題が出てきたときなどだ。(ちなみに生きるのってつらくないですか?何か我ながら青臭くてやなんだけど、僕はすごくつらかった。今はかなりマシになった。それでもどっちかって言うとつらい。)

「2005.08.14」の日付の日記は昨夜遅くに読んですごく感動した。「新世紀エヴァンゲリオン」の主人公が「ここにいてもいいんだよ」と誰かから言われたときに匹敵する感動だ(うーん、たとえも青臭い。)。子供がいると本当にいらいらさせられるときがある。いけないとはわかっていても叱りつけたり、追いやったりすることがある。その度に罪悪感に悩む。先日も書いた通り父親の孫に対する接し方などを見るにつけ、本当はこうあるべきなんだよなと深く反省させられる。でもやっぱり叱りつけたり追いやったりする。

でももう少し引いたアングルで眺めると、叱りつけたり追いやったりしてはいけないというのは、親と子の関係だけに特に強要される嘘のように思える。人と人とが24時間一緒にいれば双方とも煮詰まってくるのは仕方ないのだ。それは親と子に独自なことではなく、どんな人間同士だって同じなのだ。ただ親子の場合は、そういうことが必要以上に忌避される傾向があるというだけなのだ。そしてその傾向に身をまかせてしまえば、子供が自分の子であると同時にひとりの人間だという視点を簡単に手放せてしまう。同じように子供にとっての祖父や祖母、おじさんやおばさんが子供に対して優しいのにもそれなりのからくりがある。

そういったことがわずか数行で鮮やかに書いてあった。よしもとさんの文章には、これまでにももうもうとわき上がる埃のように目から鱗をはたき落としまくってもらった。なのにまだまだこの人は、新鮮な言葉のストックが尽きないのだ。すごいことだ。