指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

中上健次さんの劇画原作。

南回帰船

南回帰船

前にもちょっと触れた、中上健次さんの劇画の原作を読んだ。全集には収録されていないとか、未完だとか、大塚英志さんが刊行に当たって随分尽力したようだとか、貴種流離譚であるとか、まあ枕詞はいろいろあるけど、サシで読んでみるととても不思議な話のように思える。大塚さんは解題で確か「異族」との相違を言っていたと思うけど、僕には「異族」のことばかりが思い出された。「異族」は力作だし中上さんの集大成のように思える部分があるけど、おそらく単行本になるに当たって著者の手が入っていないこともあってか(記憶では亡くなった後に出版されたように思う。)、すごくバランスの悪い作品に見える。そのバランスの悪さが「南回帰船」と共通している。未完なのも共通している。それ以上に作者自身が途中で書き続けるのを諦めたように思える点も共通している。これをいったいどこへ持って行きどう終わらせるつもりなのだろう、と思い始め思い続ける間にも物語はどんどん拡散して行き結末はますます遠くかすむ。中上さんの文学的怪力をもってしてもこれらの物語をまとめ上げることは不可能だった気がする。
「路地」の消滅と共に物語の求心力を失った後、新たな磁力発生装置を求めるように中上さんが遠くへおもむいたことはおそらく間違いではない。その旅が当初中上さんが望んでいたような成功に結びつかなかったというのもありそうなことだ。そして「南回帰船」や「異族」の拡散と中断は、そんな中上さん自身の道行きを象徴してお誂え向きなように見える。研究者ならぬ一介の読者がどこまで踏み込んでいいのかわからないけど好きなだけ踏み込んでいいとすれば、そうした中上さんの心許なさを追体験するのが「南回帰船」を読む意味だ言えるだろうか。
でもそう書くとやはりかすかな違和感が拭いきれずに残る気がする。何か鼻持ちならないシステムに組み込まれてしまったような。要するに僕は「南回帰船」の表紙を初めて見たときから、余計なことをしやがって、と心のどこかで思っていたことになる気がする。読みたいようでいてほんとは読みたくなかったのだ。でも出版された以上は読まないわけには行かなかったのだ。